研究員誕生日記念
いつも、いつでも。






 寝食を忘れる程に熱中する。それほどの熱意を持って打ち込めるなにかを、手に入れられたとしたら。





 めまぐるしく切り替わるモニター、低く唸りを上げる大小様々な機械類。姿勢を正したままの格好でただ黙々とキーボードを打ち、流れていく文字列を追いかけていく。頼まれていた書類を手に端末室へ戻ってきた職員は、その姿を目の当たりにして、知らず感嘆の溜息を零した。
 若くしてその能力を買われ、歴代最年少で王立研究員の主席の座についた彼を、憧憬の眼差しで見る者は少なくない。持って生まれた能力と、その上を行く努力とを持って現在を築いた彼の中には、けれど、地位や権力といったものは存在していなかった。あるのはただ純粋な探究心。それがまた周囲の羨望と嫉妬の感情を集める原因にもなってはいたのだが、物怖じしないその性格と良き理解者に恵まれ、彼は今、研究員なら誰もが夢に見るという聖地の王立研究院で研究に没頭していた。



 資料です、という小さい声と共に差し出されたファイルへちらと視線を走らせ、手を伸ばして『ありがとう』と受け取る。必要最小限の言葉と動きで構成された対応。モニタに表示される解析結果を目で追う姿を見遣り、小さく一礼をしてその場から消える気配にも頓着せずに、また黙々と画面を見詰めキーボードを叩く。
 一旦この態勢に入ってしまった彼を普通の会話ができるような状態へ引き戻すことはかなり至難の技。同じ研究院に勤める同僚では到底無理、彼が研究員として勤め始めた頃からの古い友人でもかなり難しい。
 ―――――――ただひとりを、除いては。



 部屋の扉が控えめに開かれ、静かな笑みが注がれる。極普通に歩み寄り、肩口辺りから首を傾げるように横顔を覗き込み、ゆるりとした微笑みが落とされた。
「あ〜……エルンスト? 進み具合はどうですかねぇ」
 不意に部屋に響く声。凝視に近い格好でモニタを見詰めていたエルンストはその声を耳にした途端にはっと振り返る。その貌は、なかなか拝めない種類の物。
「ルヴァ、様……どうかなさいましたか…?」
 守護聖として水鏡の間に来ることはあっても、院の奥、この端末室まで来るようなことは滅多に無く、だからこそ驚きの表情を浮かべて貌を見上げる。その表情が珍しく、面白そうにゆるりと微笑い、ルヴァが小さく首を傾げた。
「…今日、くらいは。少し休んでも……いえ、少し休んだほうが…いいんじゃないですか?」
 落とされた微笑に目を奪われたように動きを止め、けれど掛けられた言葉に訝しげな色を貌に乗せ暫し見上げる。
「………いえ……ですが…」
 反論を口にしようとしたエルンストを見詰めたまま、ルヴァが更に目を細める。
「今日は何の日だか…忘れてしまいましたか……?」
 重ねて問われ、更に困惑を深めてしまう。眉根を寄せ揺れる水浅葱を見詰め、青鈍の瞳が小さく苦笑を落とす。一緒に帰りませんか?と訊ねると、逡巡の後ややしてこくりと頷きが返されて。
「少し……お待ちください」
 モニターに再度向かい、カタカタとなにかを打ち込んでいく。小さく小首を傾げたような格好のまま、ルヴァがその背中を見守る。ややして小さな電子音が流れ、処理の終了を告げた。微かに息を吐き電源を落として立ち上がると、ゆるりと細められる青鈍の隣へ並び、貌を窺うように首を傾けてくる。
「私の……私室で、宜しいですか?」
「えぇ…是非」
 碧の瞳が微かに細められ、口元には漸くの笑みが敷かれた。




  次のページ





御品書