嫌いで好き

〜 2 〜






 自分に課せられた役目、受け持った生徒。それだけではないような気さえするほど、なにくれとなく世話をやく。その心の奥に眠るものがなにかあるのではと覗き込む瞳に、掛け値の無い笑みで返す。
「手間のかかる子ほど可愛い、といいますし」
 その言い回しが気に入ったのか、笑いながら手にした腕を更に引き寄せて、そこそこの広さのある背中に凭れかかった。
「それじゃ、僕のこともそれなりに気に入ってくださっている、という訳ですか」
 気紛れな猫、くるくると目まぐるしく変わるその瞳には、常に違う何かが映りこんでいる。今頃きっと、下界で羽を伸ばしている彼にも、目の前で薄く微笑う彼にも、両方に当てはまる形容詞。ただ違うのは、ただ感情の赴くまま振舞うことしか知らない野生の紅と、全てを把握してなお人を惑わせる言葉を選ぶ蒼。その意味で、ふたつは根本的な相違を孕んでいた。
「それは、貴方が一番よく判っているのでしょう?」
 問いを返されて苦笑が漏れる。



 『言葉』が追いつかないほどの『理解』が横たわる。そんな現実があることを、彼に逢って『初めて』知った。



 肩にかかる重さに目を細めながら緩く微笑むルヴァを、セイランが不意に振り返った。
「来るよ」
「え?」
 いつも彼の言葉は唐突。一瞬ついていけなくなるけれど、それでも確実にその意味を分析してのけるルヴァは、確かに稀有。
「あ〜、想っていたより、はやいですねぇ」
「『あれで結構思いやりのある子なんですよ』ねぇ?御師匠様?」
 続く台詞を並べ立て、おどけた口調でにっこり笑う。ええ、もちろん、貴方と一緒でね、と笑い返すルヴァに、セイランは肩を竦めて苦笑した。買いかぶりにも程がありますよ―――――――いぃえ、そんなことないでしょう?
 駄目押しとばかりに微笑いながら髪を梳く手の平が、妙に温かくて。
 ひょいっと上体を起こして立ち上がる。追いかけるようにしてよっこいしょ、とルヴァも立ち上がった。長衣の裾に付いた葉を払い落としながら、門のほうへと意識を集中した。ややして、銀と黒の髪が闇のなかから現れる。
 無言でつと振り返る蒼の視線にゆるりと微笑むと、ルヴァは門へと駆け寄っていった。





◇     ◇     ◇






 ゼフェルとティムカ、ふたりの外出騒ぎのあった日の夜半。



 机に向かい、残った調べ物をしていたルヴァの頭上、こつこつ、と、天窓を叩く音がする。見上げれば何かの影。青鈍がはっと揺らいで其処を開放した。舞い降りる、羽ばたき。
 座る椅子の前、広い机の片隅に小さな小鳥が降り立った。庭での御茶会の時に偶に目にする蒼い鳥。脚に結わえられた紙片を目に留めて手を伸ばすと、心得た風情で小鳥が脚を差し出す。思わず苦笑しながら紙を解くと、そのままぱたぱたと天窓に向かい飛び立ち、空へと帰っていった。
 笑みと共に見送ると、手元に視線が戻る。かさりと開いた紙面には、見慣れた文字で短い一言が綴ってあった。嬉しげな苦笑を携えて立ち上がる。
 向かう先は、学芸館。ひっそりと舘を抜け出す主の姿は、誰にも見咎められはしなかった。




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