腕の中に飛び込んできた彼をどうしたらいいものかと思案しつつ、見下ろした。
おろおろした様子が、普段の彼からすると非常にらしくない。ぎゅうっとしがみつかれてしまい、かといって両手をどうしたらいいのか判らず、暫し呆然。
微かに聞こえる嗚咽に合わせるようにして蒼の髪が揺れる。その蒼を見下ろしこういうときの対策を必死に思い出しながら、取り敢えず中途半端に上げていた腕を彼の肩にかけた。途端にびくりと大きく震えた細い肩を、やんわりと慰めるように撫でてやる。
「わたし……私…っ…」
聖地に召致されたばかりの新任の守護聖。前任は既に下界へと降りてしまっていて、最近少し塞いでいるらしいという話を聞いていた。
歳が近い彼は、何処かぼうっとしたような印象が強かった。けれど流石に知識を司る守護聖だけあって頭の回転は早く、信を置くに足る十分な考察と理論に基づいた結論には舌を巻くこともしばしばで、聖地に来て間もない時期だったにも係わらず、他の守護聖の信をかなり得ていたことは事実だった。
そんな折、彼のサクリアの制御能力に影が落ちる。
聖地に来たばかりのころは、どちらかといえば危なげなく力を行使できていた彼だったけれど、ここ暫くはサクリアの調節が上手く出来ず、毎日研究院へ通っているという話が流れ伝わってきていた。制御能力の不安定は、前任の地の守護聖が下界へと降りた時期と前後していた。
生まれたときから守護聖となるべく育てられたジュリアスには、彼―――ルヴァの悩みの全てを理解することはできなかった。だからこそ最初は、サクリアを制御できない彼に対して心無い発言をしてしまった。酷く彼の心を傷付けてしまった自分の発言が『出来る者の持つ傲慢』だと悟り、ジュリアスは生まれて初めての自己嫌悪を体験する。
それからというもの、塞いでいる彼の後姿を見かけるにつけ、なにか力になることはできないかと思い続けていた。
そんな折、偶然向かった研究院で彼と行き会う。
『こんにちは』
過日の心無い発言に警戒したのか、ルヴァは俯きながらそう一言だけ残してジュリアスの脇を通り過ぎようとした。何か言わなければと彼の白過ぎる頬を追った瞬間、思いがけず涙の痕を見つけてしまう。あ、と思ったときにはもう、彼の肩へと手を伸ばしてしまっていた。驚き振り向くその瞳を見て、頭の中から言うべき言葉が何処かへと消えていく。
『その……あまり、焦らない方がいい』
言葉が思考より先に口から滑り出した。
『出来ないことは……誰にでも、あると思う』
ともすれば先の失言を取り繕う言い訳にしか聞こえない台詞。けれど、本当に本心から出た言葉だということがが伝わったのか、先刻まで泣いていたのだろう彼の瞳が再びうるりと潤み始める。
『……ジュリアス…っ』
それが、聖地に来て初めて、ルヴァがジュリアスの名を呼んだ瞬間だった。
そうして何も言えずしがみついて泣き出してしまったルヴァ。彼を胸に抱えたままジュリアスは途方に暮れた。
ふと、幼い頃に母がしてくれたことを思い出す。
所謂『英才教育に温もりは必要ない』という見方が強かった所為か、ジュリアスが母と共に過ごした時間は、この世に生を受けてから物心つくまでのほんの僅かな期間しかなかった。聖地に来て幾年か経った今では既に、脳裏に浮かぶ母の面影は薄らいでしまっていた。けれど、確かな愛情に裏打ちされた腕の温かさは、身体がしっかりと覚えていた。
未だ揺れ続ける蒼の髪にそっと触れ、幾度か撫で下ろす。両手で頬を包み、目元を濡らす雫を指先で拭って、少し爪先立った。
「……もう、泣かないでくれ」
母親が子供にするように、そうっと額に口付ける。頬を濡らしたまま、鳩が豆鉄砲を喰らったような貌できょとんとするルヴァに、もうひとつ言葉を重ねる。
「私が此処に居るから……もう、泣かないでくれ」
ターバンを巻いた小さい頭をぽすんと胸に抱きとり、きゅうっと抱き締める。そんなジュリアスに応えるように、彼の腕に身体を任せたままルヴァはこくりと小さく頷いた。
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