執事に案内されて私室へとやってきた訪問者に、ジュリアスは破顔した。
「あの〜……もう終わったと聞いたのですが、御邪魔ではないですか?」
「大事ない。よく来てくれた」
いつになく嬉しげな主人の様子に内心驚きそして嬉しさを口元に湛えながら畏まる執事に、ジュリアスは茶の用意を言いつけて下がらせた。
窓の近く、日の光があまり眩しくなく、けれど心地好いくらいに暖かく明るいところに置かれたテーブルと椅子へルヴァを誘い、椅子を勧めた。一寸待ってください、と、抱えていた荷物をテーブルへ置くルヴァを、怪訝そうな瞳で見つめる。
「もうすぐ御昼でしょう?……もしよかったら…一緒に如何ですか?」
少し照れくさそうに広げられた包みの中から姿を現したバスケット、仄かに漂う好い香りに相好を崩すジュリアス。
「昼までまだ少し時間があるな……チェスでもどうだ」
「あ〜、それは好いですね〜」
にっこりと微笑ってバスケットをソファの近くのテーブルへと移す。その間にジュリアスがチェスの用意をする。駒を並べていると、好い香りのする紅茶を携えた執事が、控えめに部屋の扉をノックした。
カップを口元へ運びながら、ルヴァの手を眺めるジュリアス。
「む……其処に騎士を置くか…」
「どうなさいます?」
カップを置いて腕を組みチェス盤を睨むように見詰める彼の真剣な表情を、笑みを湛えた表情で柔らかく見詰める。置かれたカップの中身が空になっていることに気付き、そっとポットを手に取って注ぎ足していく。自分のカップにも注ぎ足してポットを置くと、再びにこにこと蒼の双眸を見詰めた。
ふと、何かを思いついたように表情を変えるジュリアス。細い目を僅かに見張りながら首を傾げるルヴァに、嬉しそうな笑みを投げる。
「こうしよう」
「……あ〜」
ジュリアスの手元を覗き込んでいたルヴァが、些か残念そうな声をあげた。
「やっぱり気がつきましたか〜」
「…そなたの番だ。好い手を頼むぞ」
苦しくなってきた戦況に苦笑しながら、今度はルヴァが盤面を見詰める。
カップに手を伸ばし、少しだけ冷めた紅茶に口をつける。
窓の外で木立がさわりと葉擦れの音を響かせて風に靡いた。ふいっとルヴァが視線を上げる。
「どうかしたか」
「いえ……」
盤面を一度さらりと眺め、それから木漏れ日を部屋に落とす窓辺へと視線を流す。
「こういうゆっくりとした休日も、好いものですねぇ…」
やんわりと微笑んだルヴァにジュリアスも同じように微笑んで、窓の外を見やった。膝の上でゆるりと手を組み、いつになく柔らかい微笑を浮かべながら、ジュリアスは頷く。
「そうだな」
窓辺から視線を戻しジュリアスに微笑み返すルヴァの背中で、大時計が正午を告げた。
「おや〜、もうこんな時間でしたか……」
「まだかかるだろう……一旦中断するか」
時計を振り返るルヴァにジュリアスはそう提案する。そうですね、と微笑いながら頷いたルヴァは、おもむろに女王へ手を伸ばすとそれをついっと動かしてから、かたんと立ち上がった。
「それじゃ、あとは食後の楽しみにとっておきましょうかね〜」
「ルヴァ、そなた……そのような手を…っ」
先刻までの苦境が嘘のように、鮮やかに形勢を逆転させてみせるルヴァ。うきうきと椅子から立ちあがる彼と対照的に、ジュリアスは盤面を凝視したまま暫く動かない。不思議なほど巧妙かつ効果的な布石を前に、ジュリアスは苦笑するしかなかった。
「ジュリアス、はやく来てくださいね〜」
暖めたスープを運んできた侍従から何時の間にかルヴァはワゴンを引き受け、からからとテーブルの傍へと運んでいく。
少し肩を竦めながらもう一度だけ盤面へ目をやると、ジュリアスはテーブルへと脚を運ぶ。皿にスープを取り分けたルヴァが、続くように席についた。
「立て直してみせるからな」
「楽しみにしていますよ〜」
相変わらずにこにこと微笑むルヴァの表情が、どうも余裕の笑みに見えて仕方ない。苦笑しつつ、ジュリアスが目を閉じる。正面に座ったルヴァも、それに倣って目を閉じた。ややして低く呟かれる祈りの台詞。
ふたりを取り巻くのは、ただ、静かな葉擦れの音と、遠く聞こえる楽しげな小鳥の囀りだけ。
そうして、穏やかな休日の穏やかな昼食の時間が始まった。
<了>
|