想い出は胸の奥に |
「兄様、着いたよ?」 「あ、ああ」 懐古の深みに何時の間にか嵌ってしまっていたらしい。外から嘶く馬を宥める御者の声が聞こえていた。それに被さるように響くざわめき。開いたドアから降り紅の絨毯の上に立つと、ざわめきが歓声に変わった。 父王を案内するように壇上へと脚を進め、玉座の隣に添うようにして立つ。比類無き賢王との声高き父王と、彼に勝るとも劣らぬ評価を内外から得ている若き王子。即位を間近に控えた王子を見留めた観衆の歓声が、一際大きくなる。 「静かに……静粛に、願います」 晴天の空にアナウンスが響く。さわさわと静まる観衆を見渡し、あらたまった声でフェスタの開催が告げられる。 瞬間、水を打ったような静けさから、耳も割れんばかりの歓声が辺りに響き渡った。 楽団が曲を奏で、着飾った男女が長い列を作る。フェスタの目玉のひとつ、パレードが始まった。耳に届いた旋律は、ティムカの手に馴染んだ楽曲。……昔、彼の人が『好き』と言ってくれた、曲。 「母様、パレード近くで見てもいい?」 「でも…危ないわ」 やんわりと諌められ、ティムカの斜め後ろで残念そうな声があがる。くすりと微笑いながら身体を傾けると、助け舟を出してやる。 「僕が一緒についていきますから。それなら構いませんか、母様」 「ああ、ティムカ、貴方がついていてくれれば安心ですけれど……」 意見を求めるように父王を見詰める。ふふ、と微笑うと、後ろで父王の言葉を待っているふたりを見やるように振り返った。 「ふたりなら大丈夫だろう。折角のフェスタだ、皆と一緒に楽しんできなさい」 「はいっ!」 「ありがとうございます」 やった、とばかりに後ろから飛び付かれ、その勢いを受け止めきれずティムカは半歩片足を踏み出し、腕を後ろへと回した。 「じゃ、一緒に行こう」 半ば駆ける様にしてふたりは壇上から降り、雑踏の中へと姿を消した。 目の前を、きらびやかな山車が幾つも通り過ぎていく。途中で出喰わした侍従の息子が、パレードがよく見えるようにとティムカの弟を肩車してくれる。頬を紅潮させてパレードに見入る様子を嬉しげに見上げ、ふわりとティムカは微笑った。 ―――――――と。 「っあ……」 見覚えのある影が視界の隅を過ぎった。隣に立っていた男の袖を引っ張り、少し離れるから弟を頼みます、と言い残してその場を離れる。 「今のは、まさか……でもっ」 人ごみを掻き分けて十数メートル程行ったところで一旦立ち止まり、辺りを見回してみる。人の波の向こう、この惑星では滅多に見ない白のターバンが見え隠れしているのが視界に映った。弾かれたようにその方向へ向き直り、ティムカは再び駆け出した。 練り歩くパレードを見ながら、歓声を上げる者。音楽に合わせて一緒に躍っている者。熱く揺れる波に呑まれ見失いそうになりながらも、なにかに急かされるようにして追いかけた。 もう少し。あと、もう少し――――――― 「あのっ、ル、ルヴァ様っっ!」 「はい〜?」 ようやく追いついて掛けた言葉に返ってきたその声は、やはり確かに聞き覚えのある声で。信じられないようなものを見るような目で、ティムカは目の前で振り向いた彼を見上げた。 「やはり、ルヴァ様でしたか」 「おや〜、ティムカじゃないですか、御久しぶりですね〜」 緊張感のない台詞に、つい力が抜けてしまいそうになる。 滅多なことでは下界に下りることは叶わないはずの守護聖、しかも一番分別があると思われる地の守護聖が、どうしてこんなところでにこにこと笑っているのか。何をしにきたのか。聞きたいことは沢山あったけれど、実物を目の前にして、ティムカは次の言葉が次げないでいた。 「え〜とですね〜……」 ティムカの貌に刻まれた疑問符に気付いたのか、決まりの悪そうな貌でルヴァが頭を掻いた。 「ゼフェルが、今作りかけの玩具を組み立てるための部品が足りないとかで、ちょっと降りてきただけなんですけれど……」 「そう、なんですか…」 ルヴァの返答に、ティムカの声が少しだけ沈む。 本当に久しぶりに見る彼の人の姿。久しぶりに耳にした彼の人の声。教官として聖地に呼ばれ忙しい日々を送っていたのはもう随分昔のこと。それでも変わらぬ彼の姿を見ると、遠い日々が鮮やかに蘇ってくる。 他人に抱いた、初めての淡い想いと共に―――。 「ルヴァー?何処に居んだよっ」 遠くから聞こえた声にティムカははっと我に帰る。声の聞こえた方へ視線を向けながら、ルヴァが微かに微笑う。 「ああ、調達も終わったみたいですね〜」 ジュリアスに見つからないうちに、帰らないといけませんね〜、と苦笑するルヴァに、そうですね、とティムカも苦笑した。 本来は、この場所に居る筈の無い人。居てはいけない人。彼は、遥か彼方の雲に浮かぶ天上に住まう、守護聖のひとりなのだから。 聖地を後にした今、たった一時でも見えたこと。それこそが、奇跡に近い確立の出来事。これだけででも満足しなければ、きっと罰が下る。 また、ルヴァを呼ぶゼフェルの声が聞こえた。 「それじゃ、行きますね〜」 「…ええ、お気をつけて」 心を押し隠して、にっこりと微笑う。年相応に振舞えるほど何も知らないわけではなく、かといって完全に隠しきれるほど大人でもない。語尾が、微かに震えていた。 少し困ったような貌で、ルヴァが微笑う。 「あの〜…本当は、ね。あの子が探しに来た部品、この惑星でなくても買えるんです」 言葉の意味が、判らない。首を傾げるティムカにルヴァがそっと近付いた。 「確か、フェスタの時期だった、と想いまして……」 直ぐ近くに、ルヴァの貌が在ることを知覚する。耳元で、囁く、声。 「もしかしたら、貴方に逢えるかも、って……想ったんですよ〜」 驚いて見開かれる瞳。照れくさそうにふんわりと微笑って、ルヴァが首を傾げる。 貌が、やけに熱かった。 一瞬貌を伏せると、少し慌てたように貌を上げ微笑みながら首を傾ける。 「それじゃ、また。……今日は帰りますね〜」 軽く会釈をするとぱたぱたと駆けていってしまった。呆然としたまま反射的に会釈を返し、その後姿をぼうっと見送るティムカ。 罪作りな人、というのは、あの人のことを言うのかもしれない、と。 本気でそう想ってしまった。 早い鼓動を打つ胸を掻き毟るように胸の上で拳を握り、はあぁと深く溜息をつく。 『それじゃ、また』 足元を見下ろしながら、ティムカはもう一度深く息をついた。 「そんなこと言われたら……期待、してしまいますよ」 困ったような、それでいて嬉しそうな、そんな微笑みが口元に浮かぶ。 ゆっくりともと来た道へと踵を返しながら、ふと呟く。 「あと……あと、もう少しだけ……想っていても、いいですか…?」 誰に言うとも無く呟くと、弟の姿を探すようにしてティムカは雑踏の中へと脚を踏み入れた。 了 |