砂の海に埋もれた種子 〜 3 〜 |
天斗 |
「……ァ………ぉい………」 誰かが何処かで呼んでいる。呼ばれているのは誰? 呼んでいるのは誰? 「ルヴァ、どーかしたのかよっ?!」 「………あ…」 肩を激しく揺さ振られて、彼方に飛んでしまっていた意識がようやく戻ってきた。気がつくと、目の前に心配そうな紅い瞳。 「おい…ホントに大丈夫かよ。いっくら呼んでも返事しねーから、驚いたじゃねーかっ」 大きく溜息をつきながら、起こしていた腰をとすんと砂の上に落して座り込む。つられるようにして視線を向けると、やはり心配そうな紅い瞳がルヴァを見上げてきた。 「なんか……泣いてるみてー」 「……え…?」 そう言われ、慌てて自分の頬に手をやる。そこには流れる涙の痕跡すら存在しなかった。けれど、泣いているように見えるほど、悲しげな表情になってしまっていたのだ、ということに気付く。誰かが隣りに居るような状況で、意識の底の想いを闇へ闇へと巡らせてしまった。久しぶりに砂漠へやってきて、人を惑わせる精霊にでも会ってしまっていたのだろうか。 自分よりも歳若い守護聖に心配をかけてしまったかと、また思い悩み始めてしまう。肩を落し俯こうとするルヴァ。その背中を、突然ばんばんと勢いよくゼフェルが叩いた。 その勢いと強さに目を白黒させながらルヴァが顔を上げて振り向く。と、ゼフェルが悪戯っぽい光を煌かせてにいっと微笑った。 「ほら、暗くなってんじゃねーよっ」 またばんばんと二度三度叩く。今度こそ軽く咳き込みながら、あーとかうーとかなにかを言おうとルヴァが唸る。ゼフェルがその背後に立ち、両肩に手を載せた。ぐ、と少しだけ強めに肩を掴む。 「…ぇ…っ……あ、の……ゼフェル?」 後ろに立つゼフェルの顔を見ようと身体を捻じるルヴァ。その頭の上で、銀髪が揺れた。 「あのさ……あたま良いからいろいろ悩んじまうんだろーけど、ひとりで仕舞い込むのは止めとけよ」 いつに無くゆっくりとした口調でゼフェルが喋る。振り向こうとしたそのままの姿勢で、ルヴァの動きが止まる。いつもは細い眼が大きく開いた。 「ルヴァの他に、守護聖なんて8人も居んだぜ?……前、オレに言ったよな。“貴方はひとりではないんですよ〜”、ってさ」 「ええ……そうですね。言いましたねぇ」 こっくりとルヴァが肯いた。 「あんま頼りになんかならねーかもしんねぇけど、オレだってマルセルだって居るし、いけすかねーけどランディ野郎だって居るんだからさ」 肩を掴んでいるゼフェルの手の平から、暖かさが染みてくるようで。 「発散すっとこねーんだったら、オレの行きつけの店に連れてってやるから、一杯やってぱーっと騒ごうぜっ」 そんなことしたことねーだろ、と破顔してみせるゼフェル。苦笑しながら、肩に置かれた手の平に自分の手の平を重ねた。 「あんまり外に行くと、またジュリアスに御説教されてしまいますよ?」 少しだけ、声が震えた。そのルヴァの肩を更にぎゅっと掴んで、ゼフェルが茶化すように言葉を返す。 「ほら、そんな風にかてーから、また変なこと考えちまうんだよ」 な?と笑って肩から手を外すと、またばんばんとあまり広くはないルヴァの背中を叩いた。その手の平の熱、触れられる感覚、伝わる優しい心に、教え子の成長を見る想いがして、ほんの少しだけ目元が熱くなった。 「それにほら……ユーレーみたく書庫でふらふらしてんのより、元気な方が………オレ、見てて嬉しいし、さ」 他所を向きながらぼそっと呟くゼフェルの言葉がよく聞こえなくて、ルヴァが身体ごと後ろを向き聞き返す。 「な、なんでもねーよっ!」 「あの、ほんとに、なんて言ったんですか?」 問いを無視してくるりと背中を向け立ち上がる。そのまま走るようにして数歩離れ、ぴたりと立ち止まった。 「………聖地に来たばっかの頃、しつっこくかまってくれただろ。あれ……結構嬉しかった」 ゼフェルの銀髪が月の光を反射しながら揺れた。ただ下ろしているだけだった両手が、ぎゅっと握り締められる。と、勢いをつけてばっと振り返り、怒鳴りつけるような大声で言葉を続けた。 「こんな事言うのガラじゃねーけど、かまってくれたの、すげー感謝してる。イラついてたのぶつけさせてくれて、それなのに居場所創ってくれて……でかい借りつくっちまった、って想ってる」 月明かりの中うっすらと紅く染まった頬が見える。大きい声はきっと、只の照れ隠し。 「ゼフェル……」 「だから!…そんな辛そうな顔してねーで、なんでもぶつけろよ!オレだって他の奴等だって、ぶつけてくれんの待ってんだからなっ!!」 瞼が更に熱くなる。さくっと砂を踏みしめてルヴァは立ち上がった。 「ンなに背負い込むなよ? 今度そんな顔したら、有無言わさねーで下界連れてくかんなっ」 それだけ言うと、ばっと宿の方へ駆け出す。その姿を視線で追いかけながら先刻の言葉を反芻する。じわり、と涙が目の縁に湧き上がった。 と、静かな夜の空気を震わせるモーター音がどこからか聞こえてきた。投げた視線の先、ゼフェルが首を巡らせてある一点を凝視している。それを追うように、ルヴァも目を向ける。 モーター音と共にヘッドライトの光が目に入る。眩しくて思わず手を翳す。ボーイソプラノの声が微かに耳に届いた。 「ルーヴァーさーまーーーっ! ゼーーフェルーー!!」 「あー……」 ふたりの近くまで来るとモーター音が急速に小さくなり、エアクラフトはふわりと砂の上に降りた。ぴょん、と飛び降りるようにして小柄な陰が砂の上に降り立ち、操縦手と二言三言交わす。程なくしてエアクラフトがまたふわりと浮き上がり、モーター音を響かせながらもと来た方向へと飛び去った。 「ルヴァ様、ただいま帰りましたっ!」 黄金色の髪をなびかせてぱたぱたと走りより、ぽすんとルヴァに抱き付く。ひょい、と首を伸ばして、ゼフェルの方へも視線を向けた。 「ゼフェルも、ただいまっ」 「おう」 「あー、マルセル、お帰りなさい。今日はまた遅かったですねぇ。大丈夫でしたか?」 大丈夫です、御心配おかけしました、と微笑いながらルヴァを見上げたマルセルの目が、みるみる大きくなっていく。 「ルヴァ様、どうなさったんですか? ……涙…」 あー!と大きな声を張り上げながらばっとゼフェルの方へ向き直り、びっと指を突きつける。 「ゼフェル、またルヴァ様困らせるようなことしたんでしょっ?!」 「え? っば、か、ンなこと、してねーよっ!!」 「じゃあなんでルヴァ様泣いてるのっっ??」 ぐ、と言葉に詰まるゼフェル。 「知るかよ、そんなことっっ!」 言い捨ててばたばたと走り去るその後を、同じようにばたばたと追いかけていくマルセル。やっぱりなんかしたんでしょー?!という言葉に、してねーって言ってんだろ、人聞きの悪いこと言ってんじゃねーーっ!!という言葉が返る。ふたりのやりとりをぼうっと見ながら、ようやく我に帰りルヴァは自分の目元を拭った。苦笑しながら、ふたりの影をもう一度みやる。 口元に、うっすらと微笑みが浮かんだ。 雨もほとんど降らない、植生も無い、まるで死の世界だ、と評される砂漠。けれど、それは違う。こんな砂漠でも、確かに命は息づいている。熱砂の下で束の間の雨を待ちながら、息をひそめて。 感情が欠落したように見える荒涼とした心の砂漠にも、感情の種子は其処此処に眠っていた。自分では探しきれなかった、怖くて探せなかった、種子。それを芽吹かせる糸口は、見つけてもらっていた。あとは、殻を破る為の慈雨を待つだけ。……いや、恵みの雨を呼びこむ術は、今ならきっと判るはず。 「こんなわたしでも……役にたつことはあるんですねぇ…」 冴え冴えとした月の下、ひとりで暫し佇みながら、月明かりに浮かぶ砂漠を見つめる。 「頑張らなくてはいけませんねぇ〜……」 ふわりと月を見上げる。それから何事か呟き、もう一度微笑んだ。決意を秘めた、それまでにない強くしなやかな笑み。 「“わたし”は、此処に居ても…いいのですね………」 誰に言うともなく呟くと、ルヴァはしっかりとした足取りで、ふたりの待つ宿へと戻っていった。 Fin |