七夕の戀




 耳に届いたと思った音色も気の所為だったのか、耳を澄ました地慧には何も聞こえては来なかった。ふ、とひとつ息を吐いて、巡らせた視線を元へ戻し再び歩き始める。
 遠く、薄闇に己の宮を透かし見ると、表の扉近くの樹に繋がれた馬の影が見えた。夜目にもそれと判るほどの純白。確かに何処かで目にした覚えがある。
 小走りに近寄り、慌しく室内へと進む。客間で主の帰りを待っているその後姿を見て、地慧は目を丸くした。
「ああ〜、やっぱり貴方だったんですね〜」
 光を弾く豪奢な黄金の髪、切れ長の瞳。薄く笑みを湛えながら立ち上がったのは光華だった。



「留守中あがりこんで済まなかった。…早々に仕上がったのでな、御前に見て貰いたくなってつい足を運んでしまった」
 苦笑しながら光華は両手を広げて見せる。あ、と地慧の声が零れた。
「それは…私が織った……」
 仕立てに酷く満足しているのか、誇らしげに微笑むとこくりと頷いた。昨日、地慧がようやく織り上げたものを、早々に仕立てさせ実際に羽織って見せに来たらしい。肩から軽く羽織る形に仕上げられたそれは、織物本来の姿を損なうことなく、織り上げた本人ですら溜息を誘われるほどの出来になっていた。
「わざわざ、見せに来てくださったんですか?」
 頷く光華に苦笑する地慧。ありがとうございます、と謝辞を述べるも、急かされた者達は生きた心地もしなかったでしょうねぇ、と呟いて、今度は逆に光華を苦笑させた。
 事実、織部の長である地慧が織る布は非常に貴重で、天界でもほんの一握りの者しか身に付けることを許されていない。2枚とない布だからこそ失敗は許されず、仕立てには非常に気を使う。
 仕立てを急がせる事が出来る者も、確かにそう幾人も居ないのは事実だけれど。
 慈しむような瞳で羽織ったそれへと視線を落とし、するりと手の平で撫でる。
「相変わらずの手触りと着心地……流石だな」
 手放しの賛辞に照れたように貌を綻ばせ、軽く肩を竦めた。



 侍従が淹れたのだろう、机の上の御茶へと視線を留める。すっかり冷えてしまっていることに気がついて、代わりを淹れようと地慧は隣室へ向かった。座っていてくださいね、と声をかけながら、手馴れたように準備をする。
 盆に載せて客間へと戻り、熱い御茶を注ぐ。自分の分も一緒に淹れると、長椅子に腰を下ろした。
 お茶へと手を伸ばしながら、ふと光華の視線が動いた。
「……目が紅いようだが…なにかあったか」
 光華自身何気なくかけたつもりの言葉。不覚にもそれに過剰反応してしまった地慧は、込み上げて来るものを抑えることが出来なかった。ぱたり、と膝の上に滴る涙。驚いて光華は腰を浮かしてしまう。
「地慧……」
 涙の意味を推して知り、愁眉を更に曇らせて地慧の隣に腰を下ろした。口元を抑える彼の肩を抱き寄せると、蒼の髪を軽く梳いていく。
「泣くな……あまり泣くと溶けてしまう」
 深い深い悲しみは、天界人の身体を霧散させてしまう。男と逢えなくなり悲しみに暮れた地慧は以前その身体を消してしまいかけた。1度目は持ち堪えられても、2度目3度目となると、それも難しくなる。
「…今宵は…ひとりで居ないほうがいい」
 素直に頷く地慧を抱きかかえ、侍従を呼ぶ。光華の宮にて取り敢えず今夜一晩地慧を預かる、と短く告げると、よろしくお願いいたします、と言葉が返された。


 嗚咽を堪えるように震える肩をもう一度抱き直して表へと出る。鞍の上へ先に地慧を乗せると、樹に繋いでいた手綱を解いて彼の後ろへと続いて乗った。馬に慣れていない地慧を案じ、腰に廻した腕でしっかりと彼の身体を掴まえると、馬の腹をひと蹴りして走らせる。
「地慧……泣かないでくれ。御前を失くしたくない…」
「…っ………光……光華…」
 自分を抱く腕に縋りつき、幾度も名を呼ぶ。
「大丈夫だ…私は、此処に……御前の傍に居るから…」
 ふたりを護るように月の光が降り注ぐ。



 蹄の音が向かう道の先に、光華の宮の明かりが見えていた。







〜 光華−ジュリアスEND 〜



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