七夕の戀




 少し歩いた先、川のほとりに聳え立つ大きな樹が見えてくる。ふたりがよく待ち合わせをした大樹。その根元に立ち、木陰に身体を休めながら梢を見やる。
 風に枝がそよぐ度、光彩がゆらゆらと揺れ動き、地慧の瞳に振りかかる。その隣には、長い長い紐で吊られた揺り椅子が風に揺れていた。ふと紐へ手を伸ばし、動きを止める。
「まだ乗れますかねぇ…」
 ぽつりと呟き、椅子の傷み具合を確かめる。



 どうやら乗れそうだと判断したのだろう、きし、と椅子を軋ませながら地慧は揺り椅子に腰を下ろした。最初は、地に足をつけたまま、前後に小さく揺らしてみる。大丈夫だと判ると今度はもう少し大きく揺らしてみる。それでも揺り椅子は壊れない。
 ようやく足を離して軽く扱いでみる。それでも椅子は崩れずにちゃんと地慧を乗せたまま、きいきいと軽い音をたてて前後に揺れていた。
 揺れる風景を眺めながら、以前交わした言葉をなんとなく思い出す。





◆   ◆   ◆






『この樹に揺り椅子をつけたら、気持ち好いでしょうねぇ』
『あ〜? ……地慧が乗るんだろ?危ねぇよ』
『それは酷いです〜』
 少し口を尖らせた地慧を背中から抱き締め、白い頬に掠めるように口付ける。それを振り返るように身体を捩り彼を見上げながら、絶対に作って欲しいと地慧は視線で訴えた。ふたつの視線が暫く絡み合う。やがて、地慧を抱き締める彼の腕がゆるりと解かれて、根負けしたように溜息を零した。
『……わーったよ。作りゃいーんだろ?作ってやるよ』
『…ちゃんと乗れるのを作ってくださいね〜』
『あ、てめ、オレ様の腕を信用してねーな?』
 見てろよ、すっげぇの作ってやるからなっ! と燃え始めた彼を背中に感じながら、嬉しそうに地慧は微笑んだ。



◇   ◇




 椅子をようやっと編み上げ、大樹の枝のなかから特に太い枝を選んで紐を括り付けて、ようやく完成したそれを見た瞬間に現れた、地慧のそれはそれは嬉しそうな笑顔。
 乗ってもいいですか? と問うと、そのために作ったんだろ、はやく乗って見せろよ、と言葉が返される。照れたように微笑いながら紐に手をかけて軽く引っ張ってみと、しっかりと括り付けられているようで、重い手応えがあった。遥か頭上の梢が、さわさわと軽い音を立てる。
 恐る恐る椅子に腰掛ける。
『だーかーら、ぜってー大丈夫だっつってんだろっ!』
 つかつかと歩み寄ると、腰掛ける彼の背中をぐいっと押し出した。地から足が離れ、予期しなかった事態に地慧は慌ててしまう。



 ところが。意に反して椅子はとても丈夫で。きぃきぃと前後に大きく揺れてなおしっかりと地慧を受け止めていた。
『……本当に…大丈夫でした……』
『だから言ったろ? オレ様の腕を信じろ、って』
 吃驚した貌で揺り椅子をあちこちから見下ろし、そしてまた太い枝に括り付けてあるだろう紐の先を見ようと上を見上げる。
『とても気持ち好いですよ〜』
 つい先刻まで大慌てだった姿は何処へやら。それは嬉しそうに、いつになくはしゃぎながら、地慧は幾度も揺り椅子を扱いでは楽しそうに微笑った。それを見ながら、彼もまた嬉しそうに、得意満面といった表情で地慧を見詰めていた。





◆   ◆   ◆






 それは、遠い遠い夏の日の出来事。あの日のふたりを思い出しながら、地慧はもう一度大きく足を振り上げて、揺り椅子を扱いだ。



 後ろに前に、動いていく風景。あの日と全く変わらない、穏やかで、暖かな―――――――



 不意に、景色が逆転する。どこか遠くで何かが切れるような鈍い音がしたような、そんな気がした。けれどそれをしっかりと認識する暇もなく。
「あ、あああぁぁ〜っ」
 なんとも締まらない声を上げながら、地慧の身体は揺り椅子の下の草の上に投げ出されていた。瞬間、なにが起こったのか判らない、というような貌で草の中に埋もれる地慧。ぱちぱちと瞼を瞬かせ、眩しい日の光に目を細めた。その時。



「っおい、大丈夫かっ??」
 どこか急いたような、聞き覚えのある声。続いて視界の中に入ってきた姿が日の光を遮り、地慧の顔に影を落とした。急激な光の変化に目がついてゆけず、更に逆光になってしまい、突然現れた先の声の持ち主の貌がはっきりと見えない。
「あの……その」
 覆い被さるように現れた影から腕がにゅっと伸びてきて、状況についていけない地慧の腕を取り、ぐいっと助け起こす。
「んっとに…こんな草たくさんつけて……」
 言葉と共に今度は手が伸びてきて、肩や頭についた草をぱんぱんと払っていく。



 漸く開けた目に映った姿を見て、再び地慧は驚いた。
「こ……ぎょ、く」
「…おう」
 襟足についていた木の葉を最後に取ると、もう何処にも草がついていないことを確認して、小さく『よし』と呟く。
「……ゼ、フェ…ル?」
「一年も放っておいた揺り椅子に乗んなよな〜」
 腐ってるかもしんねぇんだし、あぶねぇだろ? と地慧の貌を覗き込んだのは、焦がれ続けた紅の瞳。つんっと額を小突いた紅い瞳が、一瞬固まった。
 理由は、青鈍の瞳を濡らす涙。
「ちょ…っま、てよ……っっ! なんで泣くんだっ??」
「え…私、泣いてなんか…」
「あーもうっ」
 自分が涙を流していることに気がつかない地慧を腕の中にぎゅうっと抱き締めて、何処か痛いとこでもあんのか? それとも吃驚しただけかよ? と矢継ぎ早に訊ねる。ふるふると首を左右に振る地慧に、ほっとしたような溜息を零して抱き締めていた腕を少し緩める。
 青鈍の瞳が見上げた先には、間違いなく紅の瞳が揺れていて。
「よお、地慧……ちゃんと、逢いにきたぜ」
「ゼフェル…っ…」
 地慧の声に、む、と眉を顰めてまたひとつ額を小突く。
「幼名で呼ぶなよ。…背だって、地慧よりでかくなったんだぜ」
 確かに、記憶の中の彼よりも、目の前の彼のほうが遥かに上背もあり肩幅も広くなっている。表情も何処か大人びた雰囲気を纏っていて。それでも、澄んだ紅の瞳はあの頃と少しも変わっていなかった。
 念を押すように、『幼名で呼ぶな』と言う彼を見詰めながら、地慧は苦笑する。
「また逢えて……嬉しいです、鋼玉」
 地慧の台詞に、鋼玉(こうぎょく)もまた嬉しそうに微笑った。





 柔らかい草の上に座りながら、ふと地慧が呟く。
「揺り椅子……壊しちゃいました…」
 酷く残念そうなその口調に、鋼玉が得意げに応えた。
「こんなことになってんじゃねぇかって想ってさ、換えの紐、持ってきたんだ」



 あの揺り椅子、川のこっちがわに作っちまってたからメンテに来れなくて。あれから1年も経ってりゃ紐だって腐るよな、と頭を掻きながら鋼玉が言う。
「直りますか?……また、乗れます?」
「任せとけって」
 にっと笑ってみせ、紐を腰に挟んだままするすると大樹の梢目指して登っていく。
 光と茂る葉に遮られ、地慧の視界から鋼玉の姿が消えた。風に乗ってさわさわと葉擦れの音が耳に届く。暫くすると、紐落とすから避けてろ! という声が聞こえてきた。
 大樹から少し離れたところに地慧が立つとほぼ同時にしゅるしゅると落ちてきた紐へと駆け寄り、その端を掴んで上を見上げる。するすると降りてきた鋼玉に紐を渡すと、揺り椅子へと器用に結び付けていく。
「……よっし」
 椅子に手をかけて幾度か押し下げてみる。手応えに満足そうに微笑うと、地慧を振り返った。
「乗ってみろよ。今度は落ちたりしないぜ」
 ぱあっと嬉しそうに青鈍の瞳が輝く。
「あの、一緒に乗りませんか?」
「んなことしたら、今度は椅子が壊れるぞ?」
「あ〜……やっぱり、駄目ですかねぇ…」
 残念そうに肩を落とす地慧の背中をとんとんと叩きながら、後ろから押してやるから、んな貌すんじゃねーよっ、と鋼玉は溜息をついた。



「いつかふたりで乗れるといいですね〜」
 揺り椅子の上、気持ち好さそうに目を細めながら地慧が言う。
「おめー、それってオレにもっとでかい椅子作れって言ってんのかよ」
 地慧の背中を押しながら、呆れたように鋼玉が言う。
「いえ、でも…あの、一緒に乗れたら……楽しいと想いませんか〜?」
 目の前の椅子を作るのにかかった時間を思い出しながら、ふたり掛けの椅子の作成に要するだろう時間を算出した。僅かに眩暈を起こしながら、そんなに乗りたいか? と訊ねる。即座に返ってきた応えは、大きな頷き。
「わーった……次に逢うときまでに作っとく」
「本当ですか?」
 問いに頷いて見せると、地慧の笑みが更に深まった。倖せそうな、嬉しそうな、微笑み。



 我ながら甘いよなぁ、とひとりごちると、それを聞きつけた地慧がどうかしましたか? と聞いてくる。
「なんでもねーよ。……そらっっ」
「え、あああああっっ」
 急に勢いよく押し出され、高い枝を少し軋ませながら揺り椅子が大きく弧を描いた。





 1年にたった1日の短い逢瀬は直ぐに終わってしまうけれど、しっかりと地を踏締めて年を重ねれば、きっといつかは判って貰える筈。信じて貰える筈。



 ―――――――真摯な心を取り戻した、『ふたり』の想いを。







〜 鋼玉−ゼフェルEND 〜



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