七夕の戀




 岩から数十歩離れたところで、先刻の香りがまた地慧に届いた。辺りには色とりどりの花が咲き乱れているだけで、人影はやはり見えなかった。
 背の高い草を掻き分け、向こう側へ行こうと試みる。
「……っあ、ああっ」
 がっと何かに足を取られ、草の中へ頭から倒れこんでしまう。幸い柔らかい草ばかりだったため掠り傷ひとつなく、少し地面に打ちつけた腕だけを擦りながら地慧は身体を起こして足元に視線を落とした。
「………っ」
 何かを見つけた地慧の目が少し大きくなる。そのまま立ち上がり、がさがさと草を掻き分けて向こう側へと辿り着いた。
 地面にぺたりと座り込んだ地慧の視線のその先には。



 ほうっと深い溜息がひとつ。
「こんなところで……風邪でもひいたらどうするんでしょうかねぇ〜」
 困ったひとだと言わんばかりの表情でもう一度溜息をついて、白い手を伸ばす。
 ―――――――指に触れる、柔らかい黄金の髪。



「迦汀……」
 優しい声音が空気に溶けていく。久方振りの髪の感触に深い笑みを湛えたまま、いま少し近付いてみる。くうくうと静かに聞こえる安らかな吐息。困ったように肩を竦めながら、それでも起こさずに、飽きずいつまでも整ったその貌を見詰めた。
「いつから待っていてくれたんでしょうねぇ」
 本当にせっかちな人ですね〜、と呟き、そうっと貌を近付けた。
 片手を草の上に、もう片手は髪を梳きながら、引き寄せられるように額へ唇を落とす。
 ほうっと溜息をつきながら身体を起こし、次の瞬間、自分が今し方した行為を思い出してぼんっと貌を紅くする。ふるふると首を振り、人が居ないかどうか確かめるように周囲を見回した。



 誰も居ないことを確認してからもう一度溜息をついて、迦汀へと視線を戻す。
「……久しぶりだな、地慧」
「!」
 真っ赤な貌のまま、ぱくぱくと口を開けては閉じる。いつの間に起きたのか、にやにやと微笑う迦汀がじいっと地慧を見上げていた。
「あ……っあなた、いったいいつから…っっ」
「御前が珍しくキスしてくれた辺りから」
「〜〜〜〜〜〜〜〜っ」
 立ち上がって貌を隠そうとする地慧に手を伸ばして逆に強く引き寄せ、自分の胸の上に乗せて抱き締めてしまう。
「何処に行くんだ」
「あ、あ……貴方ってひとは…〜〜っ」
 意地悪です〜、ずるいです〜〜、と言いながらじたばたと暴れる地慧に構わず、迦汀は更に強く抱き締める。蒼の髪に頬擦りし、お返しとばかり額に髪に口付ける。
「久しぶりに逢えたのに、随分だな」
 喉の奥で楽しそうに笑いながら、地慧を抱えたまま起き上がる。膝の上にひょいっと乗せてしまうと、頤を取って掠めるように口付けた。途端に大人しくなる地慧に、また迦汀が微笑う。



 拗ねてしまったらしい恋人を宥めるように、幾度も頬に口付けて抱き締める。
「悪かった。……拗ねてないで、こっちを向いてくれ」
 じと、と掠めるように視線を投げた地慧は、小さい声で応えた。
「……私のこと、どう想ってるんですか」
 切り替えされた質問の意図が直ぐには判らず、きょとんとしてしまう。ふいっと視線を反らした地慧を見て何か思いついたのか、迦汀が苦笑した。
 蒼の髪に唇を寄せ、低く囁く。
「……好きだよ。昔も今も、これからもずっと、地慧が好きだ」
 迦汀の腕の中の地慧の背中が、ふる、と震える。訝しげに貌を覗き込んだ鳶色の瞳に、白い頬に零れた雫が飛び込んできた。
「地慧…どう、し」
「また来年も……逢いに、来てくれますか?」
 問いに口を噤んだ迦汀が頷く。
「…必ず、逢いに来るから……泣かないでくれ」
「……絶対ですよ〜」
 広い肩にきゅうっと抱きついて、二度と離さない、と言わんばかりに迦汀を抱き締める。



「何年経っても、何処に居ても、地慧が好きだよ」
「わた……わたし、も、貴方が……」



 言葉が途切れ、ふたりの影が重なる。
 柔らかく流れた風が、芳しい花の香りを舞い上げてふたりを包み込んだ。







〜 迦汀−カティスEND 〜



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