七夕の戀




 部屋へと案内されたルヴァは、勧められるまま長椅子にとさりと腰を下ろした。明かりが近くの燭台へ移され、部屋の中がぼうっと明るくなる。よく見ると客間ではなく、悌矛の私室のようだった。あまり飾り気の無い、彼の気質をそのまま現したような部屋。その所為もあるのか、少し気持ちが落ち着いたようで、地慧はほうっと吐息を零した。
 ことりと目の前に置かれた湯呑みに視線を上げた。
「落ち着くと思いますよ」
 やんわりと微笑みながら、御茶を勧める悌矛。仄かに香ばしい匂いが部屋に広がっていく。ふぅっと口元を綻ばせて、小さく『ありがとうございます』と地慧は呟いた。隣に腰を下ろし、何処かやつれたように見える彼の白い頬を悌矛は覗き込む。
「地慧殿とゆっくり話すのは久しぶりですね」
 言われてから始めて気がつく。蟄居を命ぜられてからこの方、東の宮近くにある己が宮以外へはほとんど外出していなかったため、本当に弟宮と会うのは久しぶりのことだった。
「……」
 黙り込んだままの地慧。白い頬に伝う涙の跡が、今日の出来事を雄弁に物語っていた。


 膝の上に肘を置き、両手を組み合わせた格好で、隣に座る地慧の表情を窺うように悌矛は貌を傾けていた。白い頬、涼やかな目許、震える睫に濡れて光る青鈍の瞳。ぎゅっと両手を握り締めて、小さく口を開く。
「ずっと…思っていたことがあります」
 悌矛の声に、ほんの少しだけ地慧の視線が動いた。
「姉上……現帝が深く心を砕く織部の長とは、どのような方なのか、と」
 幾分目を丸くして、地慧が黒檀の髪を振り返る。悌矛はすっと視線を引くと、目の前のテーブルへと落とす。無意味に木目を辿りながら、言葉を選んでとつとつと台詞を紡いでいく。
「いつも運ばれてくる布を織っているのはどんな人なのだろう、こんなに美しく透明な布を織るのだから、御本人もそのような方なのだろう、と……幼い頃からずっと思っていました」
「……勿体無い、御言葉です…」
 深深とまた頭を下げる地慧に、悌矛は首を横に幾度か振って見せる。見ている筈のテーブルを見通して、遥か遠くを見ているような瞳。ふわりと微笑みながら、また言葉を続ける。
「そうして、2年前……ようやく貴方にお会いすることができた」
 青鈍の瞳が、ひくりと戦慄いた。
「天帝が大事にされる理由が……皆が慕う理由が……判ったような気がしました」
 悌矛が身体の向きを変えた。きし、と長椅子が軋む。片手をテーブルにつき、もう片方を長椅子の背凭れにかけて、地慧の貌を覗き込んだ。
「……地慧殿…この、西の宮に来てくれませんか……?」
 その言葉に少し驚いたような表情を浮かべたまま上体を起こし、背凭れへと背中を押し付ける。そんな地慧へ更に身体を進めて、悌矛は首を傾げて見せた。
「…幸せにしてあげたい……一緒に幸せになりたい。心からそう思うことのできる方は……貴方だけなんです」
 テーブルについていた手を上げて、白い頬へと伸ばす。少しだけ冷たくなってしまった頬へ指を触れさせて、そうっと撫でた。言葉の真意を推し量ろうとでもしているかのように、地慧は悌矛を凝視した。



 機織が上手く行かず塞いでいた時はわざわざ東の宮まで脚を運び、謁見に赴いた地慧を暖かく励ましてくれていた。体調を崩して臥せっていた時は、人を遣わし色々な見舞いを贈ってくれていた。高貴な方々の布を織るのは地慧の仕事だから織って当然といえば当然なのだけれど、弟宮の為に織り上げた布が届けられたその日の夕刻には、西の宮から直筆の礼状が必ず送られていた。
 いつも自分のことを気にかけてくれていた、その事実に改めて気付き、地慧はふわりと視線を緩める。
 柔らかい頬をゆっくりと、ゆっくりと、悌矛は幾度も慰めるように撫でていく。微かに解けた緊張を見て取りゆるりと微笑むと、掌を寄せてきゅっと頤を上げさせた。
「地慧殿……貴方を、愛しています」
 瑠璃の引かれた目許が一瞬そよいだかと思うとふわりと地慧へ近付き、柔らかい感触を唇に残していく。そのまま頬へ目許へと唇を落とし、幾度も睦言を繰り返した。暖かいその言葉と優しい仕草が引き金になったのか、地慧の青鈍が再び潤み始める。
「お願いです…泣かないで、ください…」
「おとみや……さま…っ」
 微かな嗚咽と共に、白い腕が悌矛へと伸ばされた。地慧よりも遥かに年若い悌矛だったけれど、弟宮という生まれの所為で酷く落ち着き本当の年よりも長じて見える。まだ少し狭いその胸に地慧は貌を埋め、肩を震わせた。



 柔らかく抱き締めながら、悌矛は囁く。
「返事は直ぐでなくても構いません……いつまでも、待っています」
 地慧は微かに頷く。肩に廻された腕の温かさに言葉を無くし、確かに響く悌矛の鼓動を静かに聞きながら、青鈍の瞳をゆっくりと閉じた。
「悌矛…様……」
 呼ぶ声に応えるように、廻されていた腕が細い肩をきゅっと抱き締める。
「貴方を愛しています…」
 ゆらりと燭台の炎が揺らめく。



 床に落ちた影は、夜が更けるまで動くことはなかった。







〜 悌矛−ティムカEND 〜



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