七夕の戀




 ふるふると頭を振ってから、もう一度青藍へと視線を向ける。
「済みません、今日は少し調子が悪いので……また今度、是非お願いします」
 地慧の言葉に残念そうな貌が覗く。肩を竦め、小さく溜息をつくと、さらりと髪を揺らして青藍は軽く会釈をしてみせた。
「では、後日改めて地慧様の宮へ伺います」
 返すように深く頭を下げてから地慧が上体を起こすと、目の前で青藍がゆるりと微笑んでいた。
「あの……?」
 立ち去り難い表情で見詰める青の瞳から視線が外せず、無意識に困ったような貌をして地慧が顔を傾ける。くすりと喉の奥でその様子を微笑うと、すいっと一歩後へ下がった。
「また貴方に逢えるのを、楽しみにしていますね」
 ふわりと身を翻すと、呆気に取られる地慧を後に残し青藍は夜の闇へと姿を消した。



 ほうっと零れた溜息が大気に溶けていく。
 視界のなかには青藍の姿は既に無く、先刻まで彼が其処に居たことすら夢幻だったかのような気がしてしまう。虫の音に包まれたままひとり佇んでいる自分にようやく気付くと、もう一度頭を振ってから脚を踏み出した。
 ふと、目許に熱く蟠っていた悲しみが薄らいでいることに気付く。緑那と瞑瑠の無邪気さと、何気ない青藍の一言。『また逢えることを楽しみに』という彼の言葉を思い出しながら、地慧は穏やかな瞳できゅっと唇を噛み締めた。
「おや……地慧殿ではございませんか。今時分このようなところで、なにをなさっておいですか?」
 待ち人来らず、代わりに色々な人と行き会う。世の寂寥を感じながら声のほうへと視線を向けると、透明な瞳の物腰静かな青年が飛び石の向こうから歩いてきていた。
「あ〜、これは、慧士殿じゃないですか。偶然ですねぇ〜」
 織部に地慧が不可欠であるのと同じように、語部の慧士といえば知らぬ者が居ないほど語部には不可欠の人物で、彼が居なくては語部としての機能が発揮されないとまで言われていた。機織りだけではなく古い歴史等にも精通している地慧とは、良き研究仲間として以前から親交があった。
 互いに歩み寄り会釈を交わすと、彼の手の中の巻物に目を留めて、地慧は青鈍の瞳にほんの少し興味を覗かせた。
「……やはりお目に留まりましたか」
 研究者、探求者として嗅覚が優れているふたり。古びた巻物に興味を示した地慧ににっこりと微笑いかけると、軽く両手を広げてみせた。
「随分昔の物なんですが……天帝から調査を依頼されまして」
「そうですか…」
 慧士の言葉に相槌を打ちながらも、視線は巻物に釘付け。
「以前帝からお預かりしたものも院に置いてありますが……御覧になりますか?」
「……ええ、是非」
 好い織物と未知の物に対して際限の無い興味を示す地慧。その瞳から悲嘆が薄れかけていることを慧士は確認するように彼の顔を覗きこみ、気付かれないくらいに小さな安堵の溜息を零した。
「お帰りが遅くなってしまうかもしれませんが……これから院へいらっしゃいますか?」
 過たず大きく頷く地慧に破顔し、慧士は道の先を促した。



 なにか打ち込めるもの意識を留められるものにのめり込んで、悲しみを癒すのもいいかもしれない。ただひたすら悲嘆に暮れて、泣いて、泣いて、泣き暮らして、そうしてその身を自ら滅ぼしてしまうよりは、遥かに。





 さくさくと草を分けて歩いていくふたりの姿を、月だけが優しくじっと見詰めていた。






〜 END03 −失恋− 〜



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