西武百貨店と隣あっている通路―――アゼリアロードは、たくさんの乗り換え客でいつも賑わっている。JRから西武池袋や有楽町へと乗り換える客や、パルコやサンシャイン60へ向かう客だとかが人の流れを作り出している。
「そう言えば先輩、今日はバレンタインですね」
「そうだな」
業務で駅構内を多少出歩くだけでもそれは分かる。あちらこちらに特設ブースが出来ていて、『バレンタイン』という文字が踊っているのだ。分からない方がおかしい。
「でも、ま、オレには関係ないし」
「関係ないことはないでしょう? …先輩、結構貰ったりするんじゃないですか?」
「ばーか、そんなことあるか」
軽口を叩きながらアゼリアロードを二人並んで歩いていく。南通路へと出たところで、副都心が不意に立ち止まった。有楽町はつられるようにして足を止め、首を傾げる。
「先輩、仕事に戻る前に休憩室でちょっとお茶しませんか。会議でお疲れでしょう?」
「うん? …ああ、そうだなぁ。それくらいの時間はある、か」
「ここからまた夜中までノンストップですからね、一息入れましょう」
にっこりと笑う副都心の顔が、何事か企んでるように見えてしまう。過去の所行からすれば仕方ないことだよな、と有楽町は苦笑した。
「お前は一息入れっぱなしだろう。―――まぁいいけど。休憩終えたらしっかり頑張ってくれよ?」
「もちろんです☆ さ、そうと決まれば行きましょう!」 きらりと白い歯を輝かせて副都心は笑い、有楽町の腕を掴んで歩きだした。こいつやっぱり何か良からぬことを考えているんじゃないだろうか、という疑念を抱かせるような笑顔を横目に、有楽町は頭を掻いた。
面倒なことにならなければいい。休憩室なら自分しかいないし、洒落にならないようなレベルの悪ふざけはそうそうしないだろう。―――なんて考えてしまうところがそもそも『慣らされている』のだと、有楽町本人は気付いていない。
自分の腕を引っ張っている副都心の手を有楽町は見下ろした。くいと逆に引っ張り返し緩んだところで手首を返して副都心の手を外す。
「あ、先輩、なんで解くんですか」
掴むものがなくなってしまった自分の手をきゅっと握り、副都心が唇を尖らせて抗議する。馬鹿、と苦笑混じりで有楽町が返す。
「自分で歩けるよ。…それに、恥ずかしいだろ」
「僕と一緒だから恥ずかしくありませんよ?」
「それが恥ずかしいって言ってるんだ、少しは理解してくれ」
「理解はできても了解はできません」
ああ言えばこう言う、という言葉は副都心のためにあるようなものだ。立ち止まってしまった副都心の数歩先で有楽町も同じく足を止めた。額に手をあててひとつため息をつき、肩越しに振り返る。
「来ないならオレはこのまま仕事行くぞ」
「―――それは困ります。…仕方ないですね、今回は我慢します」
「困るってなんだよそれ…というか、できればずっと我慢しててくれていいんだぞ」
「えー、どうしてですか?」
傍から聞いている限りでは実もなく甲斐もない、本当にどうでもいいような内容の会話は、けれど途切れることなく。二人が休憩室へと辿り着くまで続いていた。
休憩室の扉を有楽町が開けた。そのすぐ後ろに副都心が続く。
「せんぱーい。僕、コーヒーが飲みたいです」
「はいはい、分かってるよ。―――砂糖とミルクたくさん、だよな。作ってやるから、テーブルの上の片付けよろしくな」
後輩らしからぬ副都心の台詞を、有楽町は意外にもあっさりと受け流した。日常茶飯事過ぎて慣れてしまったのか、矯正しようがないと諦めたのか。理由は定かでないけれど、原因が副都心にあるのは確実だろう。その元凶が、有楽町の台詞に口を尖らせる。
「分かってないです。僕はブラックコーヒーくらいちゃんと飲めますよ。…子供扱い、しないでください〜」
なんだか面白くないらしい。副都心が更に頬を膨らませてぼやく。
「―――ん、…これ、なんだ…?」
「どうかしましたか?」
テーブルの傍で立ち止まった有楽町の声に、疑問が混じっていた。首を傾げた副都心がその肩越しにテーブルを見ると、紙袋がひとつ置いてあった。
「なんですか? それ」
「オレは知らないよ。…なんだろう、これ」
見覚えがないのだろう。有楽町は首を傾げながら紙袋の持ち手を掴み、横へと広げる。副都心は有楽町の肩に両手を軽く載せ、背中側から一緒になって覗き込む。
「これ…チョコレート、かな」
「チョコレートですね。どう見ても」
紙袋の中に入っていたのは、色とりどりに飾られた小さな箱だった。困惑したような顔で紙袋をじっと覗き込む有楽町の後ろから、副都心が手を伸ばす。
「―――あ、お前、何する」
「…ああ、やっぱりバレンタインのチョコですね。貼ってあるシールに書いてあります」
小さな箱をひとつ手に取った副都心が、箱をくるりとひっくり返しながらそう言って頷いた。
「そんなものが、なんでこんなところに」
「―――あ、もしかしなくても、先輩あてなんじゃないですか? この休憩室に届いてるってことは、そうとしか」
副都心は取り出した箱をひとしきり眺めると、紙袋の中へと戻した。
「いや、そもそもオレにこんなに届く訳が―――っていうか、…紙袋に『Y』ってシール、貼ってあるな…」
「メトロでYなら、先輩しか居ないじゃないですか。ほら、やっぱり先輩あてですって」
「…そう、なのかな………いや、でも」
いよいよもって訳が分からない、と有楽町は首を捻る。
「先輩は本当に、ご自分のことが分かってないですね。逆ですよ。届かない訳がないじゃないですか」
「お前じゃないんだから、それこそ有り得ないって」
本当に訳が分からない、と有楽町は頭を掻いた。紙袋をじっと見下ろしてひとつ息をつくと、中身を取り出しテーブルの上へと並べ始めた。
副都心は有楽町の肩に両手を載せて寄りかかり、興味津々といった表情で並べられていく小さな箱を眺めている。
「ひとつ、ふたつ、みっつ……うわ、十個ありますよ! 先輩も隅に置けませんねぇ。僕の知らないところで何やってるんですか?」
「何もやってない、っての。人聞きの悪い」
肩越しに顔を覗き込むような恰好で副都心はにやにやと笑う。それを意にも介さず、有楽町は色とりどりの箱を目の前に腕を組んだ。その肩口に副都心は顎を乗せ、真剣な横顔に目を細める。
「―――ん、うん? …a、p、p、…t、y、……」
「先輩? …なんですか、それ」
「いや、………今、ちょっと…」
何かに気付いたような様子で有楽町は口許に手をあてた。小さな声で何事か呟くと、今度は箱を並べ直し始める。何だろう、と副都心は目をぱちぱちと瞬かせ、その所作を見守った。
つづく
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