「―――ォウリー、……クロウリー?!」
誰かに名を呼ばれ、無意識の底に沈んでいた意識が現実へと戻ってくる。状況が掴めず呆とした顔で、己の顔を覗き込んでくる人影に眼を凝らした。
「良かった、……その、大丈夫ですか? 魘されていたみたいだから、起こしてしまったのだけど」
顔を覗き込んでいたのは、共に旅をすることになったアレン=ウォーカーだった。少し困った様な面持ちとハンカチを差し出てくる仕草を見て、漸く自分の状況に思い至る。細部は覚えて居ないが、転寝の夢見が悪く、魘されたばかりか泣いてしまっていたのだ。恐縮しつつもハンカチはありがたく拝借し、濡れた顔を拭う。
ふと、向かい側の席に誰も居ないことに気付く。聞けば、3人連れ立って食堂車へ行ったらしい。
「やー…停車駅でリナリーが買ってきた御飯、もっとあると思ってついいつもの調子で食べてしまって……皆の分が無くなってしまったんです。」
あはは、とアレンは明るく笑った。…が、確か、リナリー=リーとラビの二人が、普通に抱えると顔が隠れてしまう位の量の食料品をそれぞれに買ってきていた筈ではなかったか。丁度通りかかった販売員の女性を呼び止め、暖かい紅茶とマフィンを注文するアレンの横顔をまじまじと見詰めた。一見華奢にも見えるこの体躯の、いったい何処にそれだけの食料品が入るのだろう。
「―――はい、こっちがクロウリーの分。…紅茶は熱いから気をつけてくださいね」
「ぁ、あ…済まない、ありがとう……」
振り向きざま差し出された紙包みとカップに、慌てて両手を差し出す。
紙包みは膝へ置き、カップを両手で持ったところで、此方へじっと向けられているアレンの視線に気付く。何か驚くことでもあったのか、ずいぶんと眼を丸くして見入っている姿に、訝しげな視線を返す。
「―――何か、…可笑しい、か」
可笑しいことをした覚えは無いが、と首を傾げ問うてみる。と、彼は自分の仕草に漸く気付いた様子で小さく笑い、軽く左右に首を振った。
「いえ、そうではなくて……もしかして、先日の戦闘の夢―――見ていたのかな、と思って。」
「いや……どうだろう。よく…覚えていない。そうだった気もするが、違う気もする。」
逆に問い返されてしまう。しかし記憶も明瞭とはしない己の夢の話では、首を捻るしかなかった。
「何故…そう、思ったのだ」
紅茶のカップを両手で持ち曖昧な笑みを浮かべているアレンに改めて問うと、彼は少し視線を揺らし、窓の外へと目を向けてしまった。
「クロウリーは、…戦闘になるとイノセンスの影響が強くなるのか、口調が変わるみたいです。―――丁度、さっきの様な感じに。…だから。」
普段とは違う私の口調に、涙を流す程の夢の内容を推測した、というところか。
「そう……だろうか。―――――いや、そうなのかも知れない」
ぼんやりとした輪郭が残るだけの己が夢に思いを馳せ、自然に落ちていく視線で汽車の振動に揺れる紅茶の水面を捉える。
イノセンスが齎す衝動を御し、初めて自分の意思で戦った―――あの日の記憶は、悲しみに彩られ今も胸の奥に息衝いている。その戦闘の夢を見ていたのならば。魘される程の悲嘆に暮れるのも判る気がする。
「―――こういう時は、暖かい物を飲んで、甘い物を沢山食べるのが一番です。さっきのマフィン、美味しかったんで食べてみてください」
私の表情が暗くなりかけていたことに気付いたのか、他人の傷を掘り起こすようなことを言ってしまって悔いたのか。殊更明るい表情でアレンはそう言うと、彼の分である紙包みをがさがさと開き始めた。
「僕もう二袋目なんです。足りなかったら差し上げますから、言ってくださいね」
向けられた気遣いに少しばかり取り戻せた笑みを添え、ありがとう、と頭を下げる。紅茶を一口啜り、倣うように袋を開いた。
甘い香りが漂う。そういえば余り食事をしていない、と思い当たり、マフィンをひとつ取り出して頬張る。少し香ばしい甘みが口一杯に広がっていく。ほう、と息をつき甘味を咀嚼しながら覗き込んだ袋の中には、後4つ程マフィンが入っていた。
「……アレンは、その。―――いつもこんなに沢山の料理を食べるのか」
2人掛かりで買い込んできた食料品を平らげた後に、5つ入りのマフィンを2袋―――というのは幾らなんでも食べ過ぎではないだろうか。大食漢らしからぬ風貌にも疑問が湧き、思いつくままに訊ねてみる。
「んー…そうですねぇ。どうやら寄生型ってエネルギー消費が激しいみたいで、いつもあれくらい食べますね」
言われてみれば、大槌を振り回していたラビとは違い、戦闘中のアレンの左腕は奇怪な格好に変貌していた。あれが『寄生型』という奴なのだろう。とすれば私は、歯に『寄生』された、彼と同じ寄生型のエクソシスト、ということになるのか。ならば、私も彼と同じくらい食物を必要とするように…なるのだろうか。
複雑な表情をしてしまっていたのだろう、首を傾げたアレンが心配そうに顔を覗き込んできていた。大丈夫だ、と笑みを浮かべてみせ、もうひとくちマフィンを頬張る。
「そういえば、アレンは……その、矢張り左腕を失くして、その代わりにイノセンスが腕の形になったのか」
自分の歯がイノセンスになった時は、余りに突然生え変わったため酷く驚きうろたえた記憶がある。寄生型というのはそういうものなのだろうか。と訊ねてみると、アレンは思いもしなかった言葉を聞いた様に目を丸くした。
「いや……僕の場合は、物心ついた時にはもう左腕がこんなでしたから。どうしてこんな風になったのかは…判りません」
そういうと、ああ、そうか、とアレンはくすりと笑い、ついと手を伸ばすと私の口許近くへ指先を翳してみせた。
「クロウリーは、歯がイノセンスに生え変わったんでしたっけ。―――僕は、寄生型のエクソシストを他に知らないのでなんとも言えませんけれど、……お互い苦労します、ね」
どこか実感の篭る言い様に、ふ、と苦笑が漏れる。ふと、衝動に駆られる侭に村人を襲っていた自分を思い出していた。
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