来た道はおろか行く先も判らないくらい真っ暗な闇の中に、僕は立っていた。
左右の腕へ交互に触れ、頭、肩、胴と順に辿っていく。身体は無事らしい。目を擦ってから辺りをぐるりと見回す。が、やはり何も見えない。
「うーん、…どこだろう、ここ」
洩らした独り言は反響せず、闇に吸い込まれていく。広いのか狭いのかも判らない。何も見えないまま数歩歩いてみる。足の裏へ伝わる固い感触は、土でもレンガでもない気がした。
溜息をひとつついて、腰に手を掛ける。どうしてここに居るのか思い出せないけれど、ここで呆と突っ立っていても仕方が無い。出口を探すべく、両手を前方へと伸ばし爪先で足許を探りながら、ゆっくりと歩き始めた。
数メートルほど進んだところで何かが動く気配を感じ、足を止める。緊張のため肩が強張るのを感じながら、耳へ神経を集中して気配を伺う。程なく、何か固いもので床を引っ掻くような音が聞こえてきた。やはり何か居る。音が聞こえてきた方向へ身体を向け、何が起きてもいいように身構える。
暗闇の中、「それ」は突然動いた。固く細い何かで床を叩くような音が、凄い勢いで真っ直ぐこちらへと向かってくる。近い。とっさに腕を目の前で交差させ、頭部と首を守る体勢をとる。殆ど間を置かずに「それ」は僕に激突し、その衝撃を堪え切れず僕はそのまま仰向けに倒れこんだ。
「ぐ……ッ」
顎を引いていたので頭を床へ打ち付けることは避けられたけれど、代わりに背中を強かに打ちつけてしまい、一瞬息が詰まった。体当たりされた衝撃の所為か、腕と足に激しい痛みが走る。
圧し掛かる「それ」を睨むように見上げ、痛みに軋む腕へ力を込めて押し退けようとした。
「ヴ…ヴ……ッ」
頭上にくぐもった唸り声が響いた。聞き覚えのあるその声に、闇の中目を見開いて「それ」を凝視する。
微かに光るふたつの光が、丁度僕の目の前にあった。
「……ア゙……レ、ン」
「―――――!!」
聞き覚えのある声が僕の名を呼んだ。驚きと共に、強烈な痛みが左目を襲い、圧し掛かる「それ」を押し返す力が弱くなる。圧力と痛みに歯を食い縛りながら、歪む右目を抉じ開けて「それ」を見上げた。
「マ、ナ…?」
さっき僕を呼んだあの声は、マナの声だ。忘れる訳がない。聞き間違える筈がない。僕に初めてホームをくれた人。僕が初めて大切だと思った人。そして、僕がアクマにしてしまった人。
ひゅっ、と何かが風を切る音がした。鈍い音と共に僕の腕へ衝撃が走り、新たな激痛に襲われる。焼け切れるかと思うほどの痛みに身体が竦み、そして「それ」がマナだと判り、押し返す力がどんどん弱くなっていく。
「…ヴ…ァ……ア、アッ」
苦しそうなマナの呻き声が聞こえる。僕がアクマにしなければ、マナが苦しむことはなかった。直ぐに天へ昇れるはずだった。
腕へ、肩へ、断続的に走る激痛は、マナを苦しめた僕への罰だ。それで少しでもマナが楽になるのなら、僕は―――。
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