夢散里 |
天 斗 |
『 わたしを、たすけて、ください。』 『 わたしの、のろいを、といてください。』 いつまでも、いつまでも。 かのじょのこえが、かのじょのほほえみが。 まじないのように、ぼくのこころにからみついて。 いつまでも、いつまでも、きえようとはしなかった。 それは………いったい、だれの『のぞみ』だったのだろう。 「君、いい加減戻って来いよ。」 何処からか、京極堂の聲がした。 ごろりと身体を横たえたまま、視線をぐるりと泳がせる。視界が、白や赤や黒のマアブル模様から、 京極堂の家の天井へと変化した。 目がちかちかする。 その視界の端で、仏頂面のまま僕を覗き込んでいる、彼が居た。 「…なんだ、また御説教かい。」 面白くなさそうに呟く僕の頭を、彼は何も言わずに持ち上げた。 「い、痛い、痛いよ、京極堂。なに、するんだい。」 大袈裟に悲鳴を上げる。直ぐ、後頭部に、なんだか中途半端に柔らかいものの感触がした。ややし て、ようやくそれを京極堂の膝だと、停止しかけていた僕の頭は気が付いた。 真上から、いつもよりもやや近いところで、彼が僕を見下ろしている。 いつまでもじっと僕の顔を見ているその視線にいたたまれなくなって、ふいと向こうを向く。視線 の理由を問おうとすると、彼が急に口を開いた。 「一体何時までそうやって居るつもりだ。」 「…放っといてくれよ。」 「そうはいかない。」 言うと、僕の両脇の下に手を差し入れて存外強い力で、その膝の上に僕の肩が乗るまで引き上げる。 あ、と思う間も無く、彼に頤を掴まれてしまった。 見開かれた視界の中、京極堂の顔がやけに大きく見えた。なんだか、やけに息苦しい。深呼吸しよう としたら口の中になにかぬめる感触を覚え、ようやく彼に口付けられて居るということに気付いた。 「ん……ん、んっ」 「そうやって君は、直ぐに彼岸へ行こうとする……」 融けそうな口付けの後、耳元で囁かれる低い聲に背筋を震わせた。 「向こうへ行くことは……僕が、許さない。」 目がちかちかしていた。目眩もする。 京極堂の唇が、もう一度僕のそれと合わされた。抵抗する気は起きなかったが、流石に胸元へと冷た い手が差し入れられたときは、身体をぶる、と震わせながら、思わずその腕を掴んでしまった。 口腔に入り込んだ舌にいいように舐られ、懐に忍び込んだ指に胸の飾りを弾かれて、背筋を痺れさせ る。頭を擡げ始めた熱に手の平を添わされ、身体を引き攣らせる。自分の喉から喘ぎ声が零れ落ちて いった。 初めてではなかった。けれど、肌を合わせるのは久しぶりで。それなのに、京極堂の手の平や唇や舌 の感触を、僕の身体はようく覚えていた。 「あ……ゃ、っあ」 何時の間にか、身に付けていた服は全て、部屋の隅に追いやられていた。 うつ伏せに這わされ、腰を高く引き上げられた格好で、僕は唇から漏れる濡れた声を押さえられなく なっていた。 狭い筈の蕾には彼の舌が入り込み、空いている片手で僕の熱を弄ぶ。ぬめりが入口を出入りする度に、 腰が揺れてしまう。そのもどかしい感覚が、不意に遠退いた次の瞬間、細くて長いなにかが僕の身体 の奥深くを穿った。 ざわめく感覚が背筋を這い登って行き、下肢に力が入らなくなってしまう。 「関口……」 僕の名を呼ぶ京極堂の声が、何故だろう、なんだか哀しげに聞こえた。 二本目の指が入り込んでくる。 「ゃ……厭、だ、ぁ……っ………きょ……」 「厭、という事は無いだろう。……言葉は正しく使い給え。」 言うなり、蜜を止めど無く零す熱の先の括れをきち、と抓まれて、言葉を無くす。確実に反応を返す 僕の身体の上で、京極堂は微かに笑った。 この身体は、確かに、悦んでいるのだ。 蕾の奥のしこりを指二本で幾度も強く擦り上げられて、あっけなく吐精してしまう。何かが崩れ落ち ていくような感覚がして、思わず逃げを打つ。 「何処へ行くんだ。」 思いの他強い力で引き戻され、再び蕾の中を掻き回される。脳裏に白い閃光が幾筋も走っていった。 この精神は、何かを、怖がっている。 快楽に啜り泣く僕の腰をしっかりと掴まえて、京極堂が僕の身体の中へと入り込んできた。 「あぁ……っあ、ぁ」 久しぶりの愉悦に身体は歓喜してそれを迎え入れるが、僕の精神は強すぎる快楽に恐慌状態へと陥る。 幾度も大きく抉られて、精神が少しづつ剥がれ落ちていった。強迫観念に襲われるが、京極堂の腕の 中からは、逃げられない。 全神経が焼け切られるような熱と強く穿たれる律動に、精神の剥離は絶え間無く続いた。彼岸と此岸 が入り交じり始めると、脳裏には歪んだ彼女の記憶が浮かび上がってきた。それさえも、桜の花弁の 如く散っていく。 『達くこと』と『逝くこと』は、その現象に於いて、とても似通って居る。 最奥を強く穿たれ、高く嬌声を放ち、僕の熱は京極堂によって、高みに追い上げられた。幾度目かの 蜜を彼の手の中に吐き出し、それでもまだびくびくとひくつく身体。温かい手の平で宥められている 事を微かに感じながら、僕の精神は、この肉体との暫しの乖離を果たした。 浮遊感。真白な風景。 一瞬の後に、暗転。手元でさえも見えない程の、暗闇に覆われる。 なにも見えない筈の暗闇の中で、誰かの気配を感じる。 何処かで感じた事のある視線が、僕の身体に絡み付いていた視線が、ゆっくりと解けていくのが 判った。 ただ、それが誰のものだったか、ということが、想い出せない。 『 想いを持つのは、何時も必ず生者しか居ないのだよ。』 誰かの聲が、聞こえる。 何処が上で何処が下かも判然とはしない世界で、ぽつ、と白い光が点る。 その光に吸い寄せられるかのように、僕の身体が宙に舞う。 刹那。視線の先に転がる、大小様々な欠片を見付ける。それらは、何故か、僕のこころの欠片だ、 と思えた。 いい加減な順序で組立てられて、今にもその均衡を失おうとしていた、僕の精神の欠片達。 その欠片達は、光に吸い寄せられながら、ちゃんとした順序で組み合わされていく。 『 君には、必要な事だったんだ。』 再びあの低い聲が響く。何処かで聞いた事があるような気がするが、思考が纏まらない。けれど、 その言葉に妙に納得する。 納得した刹那、一際強く輝いた白い光に、僕は呑み込まれていた。 なんだか眩しくて、眉を顰めながら目を擦る。 「ようやく御目覚めかい。よく寝る奴だな。」 誰かに髪を撫でられて、急速に現実感が蘇る。眩しいと思っていたのは、どうやら朝日らしい。鳥の 囀りが聞こえた。 「京極堂……」 口をついて出た言葉に、彼が覆い被さってくる。柔らかく唇を重ねられて、こころの奥が、温かく なったような気がする。 ふと気が付くと、目眩はもうすっかり消えていた。 「…未だ寝惚けているのか、君は。」 耳朶に口付けられながら囁かれて、ぞくりと背筋が震えた。 「も……起きる、から…」 その言葉は、あっさりと聞き流される。身体を這い回り始めた手の平に酔いながら、こんな朝が 在ってもいいか、とさえ想う自分が居た。 『 あの 『のぞみ』 は、僕の 『のぞみ』 だったのかもしれない。』 突然、そういう想いが脳裏に閃いた。その想いの意味を考えるという事は、混濁した闇の向こう側を 眺めるようなものだ、ということに無意識に気が付いて、それ以上考えるのを止めてしまう。 それでも、いいのだ。 「もう少し、付き合い給え。」 下肢に遊び始めた手の平の熱さに、心地よい酩酊感を感じながら。 僕は、居心地の好い京極堂の腕の中に、この身を預けていた。 |
了 |