2001.7.7 村雨祇孔 誕生日記念

惚れた弱みと晴れた空





 都内にこれほどの敷地面積を有する邸宅はそうそうないだろう。目にした者全てにそう思わせる程の立派な門構えを備えた、純然たる日本家屋。些かうんざりしたような面持ちで正面からその姿を眺めるその口許から、溜息がひとつ零れ落ちていく。
 つかつかと近寄り表門近くの潜戸を押し開けて中へと入っていく姿は、半ば無遠慮にも見えて、勝手知ったる、とばかりに奥へと踏み込んでいく。
 迷うことなく脚を進め、どう見ても私室然としている棟へ辿り着く。つと視線を廻らせ、ひとつ深呼吸。
「おい、芙蓉。居るンだろ? 『御主人サマ』は何処だ?」
 それ程大きい声という訳でも無い。寧ろ低いその声は抑え気味で。暫く周囲の気配を探るような素振りで耳を澄ましていた身体が、くるりと後ろを振り返る。
「……静かになさい。騒々しい」
 先刻まで何も誰も居なかった空間へ忽然と姿を現した人影に眼を細め、口許をにやりと歪める。
「やっぱ居やがったな。で、奴は何処だよ」
「相変わらず無礼ですね。…来客中ですから、御前の相手をしている暇はありません」
 無表情に言葉を返すその様子が面白いのか、喉奥でくつくつと笑う。手近な濡縁に脚を向けるとどっかと腰を下ろし、脚を組んだ膝の上に頬杖をつく。
「んじゃ、その来客とやらが帰るまで待たせて貰うとするか」
「無遠慮もいい加減になさい。………退散させます」
 懐から扇を取り出し軽い音を立てて開くと、きつい眼を細めて睨めつける。構えを取るためゆらりと身体が揺れ、それにつられるようにして長い黒髪が風に靡く。交錯する、視線と視線。



 向けられる視線が、ちり、と感覚を焼く。双方が次の行動を起こそうとした瞬間、張り詰めた空気を破るように、凛とした声が響いた。
「ふたりとも、やめなさい。…私室近くでの諍い、許しませんよ」
 睨み合った視線が咄嗟に振り返った先、白の服を纏った痩身がゆるりと微笑う。
「……申し訳ありませんでした…」
 僅かな狼狽を匂わせたまま、す、と下ろされる扇に、頬杖をついていた身体を起こして脚を組み替える。
「それで。一体何の用です? 突然こんなところまで来て…。この場所は虫が好かないと言っていたのは……村雨、御前でしょう?」
 肩を竦めてふっと笑い、視線を外して遠くを見るように視線を空へ投げる。
「何、大した用事でもねェさ。……確か、裏の茶室脇に竹薮があったよな?」
「……ありますが……それが何か?」
 訝しげな視線に返される笑み。腕を組み立ち上がると、村雨は御門に向き直った。
「竹…数本でいい。くれねェか?」
 貌に刻まれる険がゆるりと深まる。思案するように左の指を口許に当てて唇の端を引き上げるように微笑う表情は、被さる険と相まって一種の恐怖すら引き起こしかねない迫力を持っていた。
 応接の合間、私室の方角から感じた氣の乱れが気になり、次の客を待たせてまで脚を運んだ結果がこれか、と、軽い憤りすら燻らせているだろう御門。それを物ともせず、村雨は同級の彼を見遣ったまま笑みを深める。
「御前に竹なぞくれてやる義理はなかったと思いますが?」
 唇を滑り出す声音の静かさが余計に恐怖を掻き立てる。顔色を僅かに青くさせた芙蓉が立ち尽くす傍で、御門の威圧など何処吹く風という涼しげな表情を浮かべる村雨。
「確か…来週、南の方でなンかあったなァ?」
「……霊峰の符陣強化の儀……のこと、ですか?」
 黄龍の脅威が去って数年、それでも綻びは其処彼処に転がっているのが現状。最近微震が続く霊峰富士、その地に布かれている符陣の強化を依頼され、来週脚を運ぶことになっていた。それがどうしたのかという疑問を含んだ視線が村雨に向けられる。
「…俺が居なくても、そいつァうまくいくかねェ?」
 挑むような視線と共に放たれた村雨の言葉。瞬間、御門の表情が硬くなる。息の詰まるような雰囲気に、こくりと芙蓉が喉を鳴らした。
 ややして、深い溜息を零し、御門が肩を竦める。
「仕方ありませんね………好きなだけ、持っていきなさい」
「有難ェ。早速かかるとするか」
 ぱち、と指を鳴らして破顔する。御門の溜息と共に解けた緊張に、芙蓉も大きく息をついた。目当ての場所へと脚を向けかけ、ふと村雨が振り返る。
「ああ、切出しと搬出は一人でやるからよ、心配すンな」
「……当たり前です。竹が取っていけるだけでも有難いと思いなさい」
 違い無ェ、と声を上げて笑いながら、両手をポケットに突っ込んで歩いていく後姿を眺め、もう一度御門は溜息をついた。







 梅雨の晴れ間、とでも言えばいいだろうか。からりと晴れ上がった空から降り注ぐ太陽の光が肌に突き刺さる。額から流れ落ちる汗を手の甲で拭いつつ竹を切り出す村雨を、茶室隣の東屋の濡縁に腰掛けた御門が、微かな笑みを湛えて見遣る。
 冷たい麦茶を運んできた芙蓉が小さく声をかけ、御門へと渡す。
「……別段お許しにならずとも……マサキ様も望まれている事、村雨が放り出す筈もございますまいに」
「いいのですよ、芙蓉」
 ふ、と笑みを深め、手渡された麦茶を飲みながら御門は鋸を構え直す村雨を見た。滅多に見られぬだろう、一生懸命に何かをする彼の姿を視界に納めたまま、薄い唇をゆるりと口を開く。
「珍しいと言えば珍しい……けれど、これが『本来』なのでしょう」
 羨望が見え隠れする声音で呟き、柔らかに眼を細める御門の視線の先で、村雨が小さく声を上げる。
 竹を押さえていた手を跳ね上げるように払い、眉を顰めて口許へ運ぶ。村雨の唇の赤に添えられた紅に、御門が小さく芙蓉の名を呼んだ。その声に応えるように軽く頷き、音も無く下がると部屋の奥から白い箱を持ち出して、村雨の隣へと近寄る。
「……っ…」
「…村雨。手をお出しなさい」
 顰めたままの貌で隣に立つ芙蓉を見上げる。その手に持たれた箱に眼を止め、悪ィ、と肩を竦めて口許に当てていた手を差し出した。指先に出来た小さな裂傷に視線を落とし、箱を地面へ置くと消毒薬を取り出してたっぷりと傷へ注ぎ掛ける。
「ッ、た、御前ッ、ちょっとくらい手加減しろッ」
「男ならばこの程度のことでそんな情けない声を上げないものです」
 悪かったな、と苦笑混じりに肩を竦め、小さく息を吐いて痛みを堪える。消毒薬の蓋を閉め、滴る薬液を脱脂綿で押さえるように拭うと、大き目のガーゼがついた絆創膏を巻き付ける。じわりと微かに染みる紅に微かに眉を顰め、芙蓉は箱の蓋を閉じた。
「注意力散漫ですね。……いつもならこのようなこと、しないでしょう」
「あぁ……ちょっと、気ィ取られてたかもなァ」
 くっくっと笑う村雨を、奇妙な物を見るような目で見る。
「…何にそんなに気を取られているのですか」
 首を傾げる芙蓉を見遣り、村雨は『人が悪い』と御門に形容されるいつもの笑みを口許に浮かべた。その貌に、芙蓉の細い眉が僅かに顰められる。
「ま、そのうち御前にも判る……かもなァ?」
 笑みを口許に刻んだまま、手当てありがとさん、と怪我をしていない方の手を振り、踵を返す。身体を屈め置いていた竹を手に取り、鋸を持ち直して作業を再開する。
 困惑しながらもそれ以上問えなくなってしまった芙蓉は、箱を抱えて御門の傍へと戻った。



「……村雨が、変です」
 箱をかたりと濡縁へ置き、やはり首を傾げて御門を見る。くすりと微笑んで首を傾け、御門は芙蓉に目を向けた。
「御前には、まだ……判らないでしょうね」
 流した視線を巡らせ、あと少しで竹を切り出し終える村雨を見遣る。その視線につられるように芙蓉も視線を向け、竹を見詰めて薄っすらと微笑う男の横顔を見た。
「……そのうち、判りますよ」
 貌の向きを変えず、目線だけを投げて微笑む主の横顔をじっと見詰め、そうですか……、と、何処か釈然としない口調で芙蓉は呟いた。





 縄で切り出した竹の根元を括り、肩へ担ぎ上げる。わさりと揺れる葉を肩越しに見遣り、何処か嬉しげに村雨が微笑う。
「恩に着る。ありがとよ」
「御前の口からそんな言葉が出るとは。気味が悪い」
 薄く笑んだままの御門の口から皮肉めいた言葉が飛ぶ。その台詞に振り返って肩を竦め、滅多に見せない素直な笑みを口の端に浮かべる村雨を見て、芙蓉が僅かに目を丸くする。
「こいつを心待ちにしてる奴が居るんでな。これでも結構感謝してるンだぜ?」
 肩に担いだ竹を指差しながら零れる笑みは確かに初めて見るもので。表情はそのままで小さく溜息をついた御門が、持っていた扇子で村雨を外へ追い遣るような仕草をしてみせた。
「どちらでもいいですよ。…今度の儀には、来るんでしょうね?」
「判ってるさ。約束だからな。……俺の能力、貸してやる」
 自信たっぷりににやりと笑い、振り返っていた視線を戻すと空いている手を振りながら村雨は歩き出した。



「単独行動は許しませんよ。いいですね?」
 背中の向こうで聞こえる御門の声に、ひらひらと手だけ振り返し応える。
 角を曲がり表門脇の扉から外へ出た村雨は、ふと茜差す空を見上げて薄く微笑った。よ、と小さい声と共に肩の竹を背負い直し、再び歩き出す。
「俺の誕生日だって事、判ってンのかねェ……奴は…」
 大概俺も莫迦だな、と自嘲気味に呟き、通りを歩く大衆の視線を引き付けている自分の格好にまた、苦笑する。
「まぁ……惚れた弱み、ッてトコか」
 くっくっと愉しげに笑い、視線を何処か遠くへと泳がせる。
 絶えぬ笑みを纏わせたまま、明日も晴れるといいなァ、と呟きながら帰途につく。



 明日は7月7日。織姫と彦星が1年に1度出会えるという、神代の頃の物語が、巷の其処此処で囁かれる………七夕の、日。







<FIN>

遅くなりましたが、我が愛しの(笑)村雨祇孔2001年誕生日記念創作です。
竹を所望した相手が誰なのかは、このお話を読んでくださった方々の想像に任せます。
村雨×御門のお好きな方には済みませんが…(苦笑)
夏の青空をイメージした感じで。狙った通りいきましたでしょうか?






カエル