2009.04.26 UP ― 犬+主

消えた涙の行方
〜6〜


 御門は仕切り直すようにこほんとひとつ咳払いをして、お茶を配り終えた芙蓉へと顔を向けた。
「芙蓉、御苦労でした。…そちらへ控えていなさい」
 村雨が居る場所と反対側になる濡れ縁の端を御門が視線で示すと、芙蓉は深々と一礼をしてそちらへと下がり、腰を下ろした。
 さっき御門は『何でもありません』と言ったけど、どう考えても不機嫌そうに見える。やっぱり何かあったんじゃないだろうか。
「御門、…どうかしたのか」
「―――龍麻さんが気にすることではありませんよ。むしろそこの莫迦が気にするべき問題です」
 なんとも言えない表情で御門はひとつ息をつき、ぱし、と扇子で自分の手の平を軽く打つ。
「村雨、この貸しは高くつきますよ」
「俺には細かいコトは向かない、っつったのは誰だったかなァ」
「…やろうと思えばやれることをやらないのは誰ですか」
「―――今回は、御前が居た方が良いと思ったンだよ。…それに御前だってやぶさかじゃねぇだろ」
 2人が言い合っている内容から推し量るに、その原因は多分オレなんだろう。でも、何でこんなことになってるのか判らない。何が原因なのか判らなくて困惑していると、そんなオレに気付いた御門がふと微笑みを浮かべ、緩くかぶりを振った。
「龍麻さんが気にすることではない、と言いましたよ」
「でも、…」
「それはそれとして、…少し訊きたいことがあるのですが」
「うん、―――なに?」
 少し改まった様子に、両膝へそれぞれ手を置きその場で座り直した。御門は笑みを浮かべたままこくりと頷き、閉じていた扇をさっと開く。それを口許へ寄せると目を伏せて、何か小さく呟きながら濡れ縁の上を4回、指先で軽く叩いた。数秒の間を置いて、オレを真っ直ぐ見る。
「―――貴方が気に入っている人が例えば居たとして、その人が急に居なくなったら、どうしますか」
「え?」
 何を訊かれるんだろうと少し構えてしまっていたのだけれど、思っていた以上に妙な事を訊かれて、思わず聞き返してしまった。促すような御門の視線に、暫し考え込む。
「それは…多分、探すと思う」
「探している間に、相手が貴方に会いたくないと言っている、と他の誰かに聞かされたら、どうしますか」
 これは何かの例えなんだろうか。例えだとしたら、一体何の例えなんだろう。
「―――探すのは止めない。本当かどうかなんて、相手に直接訊かなきゃ判らない」
「では、居なくなった相手を探し当てて本当かどうか訊いてみると、もう会いたくない、自分のことは忘れてくれ、と言われたら、どうしますか」
 さっき御門は『例えば』と言っていたから、本当に誰かが居なくなったとか、そういう訳じゃないんだろう。でも、それならどうしてこんな事を訊くんだろう。…こんな、難しい事。
「それは、…なんでそんなこと言うのか訊いてからじゃないと、判らない」
 そう言うと、御門がふっと口許を緩め、少し目を細めて頷いた。
「ならばやはり、取り戻して訊きに行くべきですね」
「―――何を…?」
 御門の言葉に首を傾げる。何を取り戻して、何を訊きに行かなければいけないんだろう。―――誰、に?
「村雨」
「おう」
 御門の呼びかけに村雨が短く応じる。凭れていた柱から身体を起こして立ち上がると近付いてきて、オレの直ぐ後ろへ腰を下ろした。
「先生は御門の方向いてろ」
 肩越しに見遣ると、懐へ手を入れ何かを探りながら村雨はそう言い、ウインクして見せた。その姿がちょっとおかしくてくすくすと笑いながら、うん、と頷いて御門の方へ向き直る。何をするのか見当つかないけれど、きっとオレに何かあって、それをどうにかしようとしてくれている。そんな気がした。2人がどうにかしようと思うってことは多分、術でなんとかなるようなことなんだろう。だったら、2人に任せれば大丈夫だ。
「背中に手ェ当てるけど、動くんじゃねぇぞ」
「うん」
 頷くと、後ろで村雨が何か小さく呟いた。程なく、オレの背中に村雨の手の平が触れる。瞬間、軽く静電気が走るような感じがして、びくりと肩が震えた。
「…ったく、いてぇな。あちこち仕掛けばっかかよ。―――いいぜ、御門」
「ええ」
 村雨の声に御門は頷くと、口許へ寄せていた扇をぱちりと閉じて脇へ置いた。
「龍麻さん、…かけられた方法が判らないので取り除くことはできません。ですが、効力を弱めることはできます」
 言いながら御門が手を軽く握る。その人差し指と中指を揃えて立てて唇の前へ翳すと、何事かを呟いた。その指先を伸ばしてオレの額へ触れようとした、その瞬間。目の前でばちりと音を立てて閃光が走った。
「御門!」
「―――大丈夫です。…しかし、ここまで仕掛けてあるとは…」
 素早く手を引いた御門が僅かに顔を顰めて指先を擦っていた。ふ、と息を吐いて再度指先を揃えて立て、先刻よりも長く、何事かを呟く。
「効力を弱める術が効いている間に、取り戻してください」
「…取り戻す、って、…何を」
 指先に意識を集中させた御門は、何か図形のようなものをゆっくりと空へ描いていく。それを完成させたのか、手を止めて一度息をつくと、御門は翳した指越しにオレを見てうっすらと微笑んだ。
「―――貴方の意志とは無関係に封じ込められた、貴方の記憶を」
「…記憶?」
 オレが問いかけるとほぼ同時に、御門が指先をオレの額へと下ろした。今度は、さっきよりも軽い『ぱちん』という音が聞こえただけで、御門の指先は無事にオレの額へ触れていた。そのまま更に御門が何かを呟くと、触れた指先から何かが流れ込んできた。そして、何か見えない膜のようなものが剥がれていくような、そんな感覚と共に、どくん、と心臓が跳ねる。軽い焦燥と喪失感に襲われて、両手をきつく握りしめた。
「―――なんだ、これ」
 やろうとしていたことを終えたのだろう、御門と村雨が手を引き、オレの様子を確かめるような視線を向けてきた。両手を握りしめたまま顔を上げ、2人の顔を交互に見上げる。
「旧知に会おうと思って帰ってきた貴方が、幾ら母校でとはいえ1日を丸々無駄にするとは思えません。…会った人が居ないというその1日に、きっと何かがあった筈です」
「俺達には制限が掛かっててこれ以上言えねぇんだが、…先生なら見付けられる筈だ」
 何かが抜け落ちている感覚に、ぶる、と肩が震える。そういえば、今朝も同じような感じがした。どうして忘れていたんだろう。
「…オレの記憶を、―――誰かが、消した?」
 違和感を感じたこと、それすらも忘れさせて、何かを消そうとしている。…オレの知らないところで、オレの記憶を、誰かが。
「―――大丈夫、ですか」
「…うん、―――大丈夫」
 頷いて、立ち上がる。何が目的か知らないけれど、オレの知らないところで勝手に何かされるのは気に入らない。それが例え、誰であっても。
「ごめん、…ありがとう。やっぱり今日村雨に会えたのは良かった。―――ちょっと行ってくる」
「何かアテでもあるのか?」
「多分、真神だ」
 あんな一年を過ごしたあの場所のことが、オレの中でこんなに希薄になってるなんて、ありえない。そう思えるのも全部、御門と村雨がかけてくれた術の所為なんだろうけれど、だからこそよく判る。後は、―――勘、だ。
 力強く頷いてみせたオレに、御門が目を細めて笑う。
「帰りを待っていますよ。…終わったら、連絡をください。迎えをやります。…芙蓉、電話番号と、出口までの先導を頼みます」
「はい、晴明さま」
「判った、…ありがとう!」
 芙蓉から赤外線で御門の新しい電話番号を転送して貰い、ポケットへと突っ込んで先を行く芙蓉を追う。
「しっかし、術にかけられちまうほど誰かにのめり込んでるたァな。面白くねぇ」
「…だから御前、ここに連れてきたのでしょう」
「御前いいのかよ、先生をあのまま放置して」
「―――良いわけないでしょう。誰かに何か掛けられたままなど、…面白くありません」
「だろ?」
 という御門と村雨のやりとりは、先を急ぐオレの耳には届かなかった。
 とにかく、この違和感を一刻も早く取り除いて、仕掛けた張本人を問い詰めたい。それだけを考えてオレは、真神へと走った。




<つづく>

モドル ススム

カエル