もうひとつの役目
〜 玄 武 篇 〜
如月×主






 ふと気付くと、表戸のほうから何か物音。店を閉めたのは30分前、普通の客なら閉店とみてそのまま帰る筈。手を下ろしてじっと耳を澄ますと、少し間隔を置いて、もう一度表戸を叩く音が響いた。
 普通の客ではない。なにか急用の客か、それとも。首を傾げながら、表に急いだ。
「どなたですか」
 すりガラスの向こう、もう一度戸を叩こうとする人影が見えて、声を掛ける。一瞬躊躇したように動きを止めると、小さく声が返ってきた。
「……俺、だけど…」
「龍麻?」
 隠せぬ驚きを言の葉に乗せてしまった自分に苦笑する。つい先刻まで想いを馳せていた彼が、一枚の戸を隔ててそこに居る。逸る心を落ち着かせるように深呼吸してから、戸を開けた。
「やぁ、どうしたんだい、こんな時間に、ひとりで」
 薄く微笑う彼。見れば寒さで頬が赤らみ、耳も真っ赤になっていた。
「ん……ごめんな。突然」
「別に、気にしなくていいよ。……寒いだろう、御茶でも出そう」
 奥の居間へ通し、炬燵にも火を入れて龍麻を座らせる。どこか神妙な様子に内心首を傾げながらも、随分と冷えてしまっていたらしい彼のために熱い御茶を煎れに行く。以前色が好きだと言っていた伊万里の古い湯呑を用意して盆に二人分乗せ、廊下を歩きながら、選定の仕方が少し少女趣味だったかと苦笑する。
 矢張り寒かったのだろう、炬燵布団のなかへ両手を入れたままじっと待っていた龍麻に微笑みかけながら、湯呑を置く。その色を見て少し口元を緩める、そんな些細なことに自分まで嬉しくなりながら、話し易いよう隣の辺に腰を下ろした。





 熱いから気をつけて、とひとこと言ってから、自分の湯呑に口をつける。如月を見ながらほうっと息をついた龍麻が、それに倣うように目の前の湯呑へ手を伸ばした。
「っあ、つッ」
 持った場所が悪かったのか、それ程に手が冷えてしまっていたのか。熱さに取り落としそうになった湯呑を咄嗟に受け止め机に置き、反射的に引っ込められた手を取って指先を診る。
「だから、気をつけてと言ったのに」
 責める口調にならぬよう気をつけて言葉を繰り、紅くなっている指先に唇を押し当てて熱の有無を確かめる。痛くない、という彼の言葉と、それ程熱くなっていない指先に安堵して、ほうっと息をつき『気をつけてくれ』と微笑いながら顔を上げた。
 と、目の前に、困ったような、照れたような、龍麻の貌。
 どうかしたのかと言いかけて、先刻慌てた自分が取った行動の一部始終を思い出す。
「済まない、つい…」
 焦ったとはいえ指に口付けてしまうような格好になり、取り繕うような笑みを浮かべながら謝辞を口にする。同じく困ったような表情で笑いながら、龍麻がゆるりと首を横に振った。



 手の中の湯呑の熱を確かめるようにきゅっと両の手の平で包み込み、龍麻の顔を見やる。
「……何か、用事があったんじゃないのかい?」
 そうでもなければ、ひとりでこんな所へ来ないだろう?と重ねると、うーん、と曖昧な返事をして龍麻は首を捻った。
 暫くの沈黙の後。
「明日……真神の卒業式なんだ」
 言われて初めて、もうそんな時期か、と想う。そういえば、王蘭も確か今週末には卒業式だった。自分が主役のひとりとして参加する式なのだから、予定なりなんなりもう少しちゃんと確かめておくべきだな、と心の中でひとり呟く。首を傾げて先を促すと、龍麻は次の言葉を言い澱む。
 俯くようにして湯呑へと視線を落とす仕草は、彼にしては珍しいほうで。顔を覗き込むようにして視線を合わせると、困ったような表情で龍麻は薄く微笑った。
「如月……御前に、聞きたいことがあって」
「僕に?」
 彼の悩みなら持久戦でも腰を据えて聞くつもりはあったけれど、想ったよりすんなりと先を続けてくれたことに少なからず安堵を覚える。
「あの、さ……如月って、自分が玄武だって自覚したの、小さい頃だったって言ってたよな」
 話を聞きながら御茶を啜ろうとした如月の動きが止まる。
「そう…だけど、どうかしたかい……?」
 問いの意図が判らない。続く言葉に聞き耳を立てる如月を見ず、湯呑に視線を落としたまま、いつになく歯切れの悪い口調で言葉を綴る。
「大変…だよね。四神なんて、そんなの……みんな、好きでそう生まれついた訳でもないのに」
「……龍麻?」
 痛み。嘆き。何故かは判らないけれど、自嘲気味に喋る龍麻からやり場の無い哀しみのようなものを感じて、如月自身胸が苦しいような気がして、眉根を顰めた。
「柳生も過王須も倒して、取り敢えず今は平和だけど……俺が居ればまたいつか争いが起こる……そうしたらきっと、また迷惑かけることになる」
「龍麻」
 低く響いた如月の声に、びくりと肩を震わせて龍麻が視線を上げる。
「以前言ったかも知れないが……別に僕達は迷惑だなんて想っていないし、君と共に闘うと各々が自分で決めたことなんだから、龍麻が気に病む必要はないよ」
「けど……」
「…仲間を助けたい、と想うことは、いけないことかい?」
 唇を噛んでかぶりを振る龍麻の肩を、宥めるようにとんとんと軽く叩く。目元に頬に被さった黒髪の所為で表情がはっきりとは読めないことだけが少し気にかかった。
「皆、君の為なら命だって惜しくない、と、きっと想っている。それが重荷に感じることはあるかもしれないけれど……龍麻だって、皆の為なら自分なんか、と想っている……そういうところは確かにあるだろう?」
 こくりと言葉無く頷く。机に肘をつき体重を幾らか預け、幾らかでも様子を窺おうと首を傾けて顔を覗き込むような態勢をとる。
「ひとりで全部抱え込まないでくれ。僕で良かったらなんでも……ぶつけてくれていいから」
 ゆら、と龍麻の黒髪が揺れた。ゆっくりと現れた貌は、悲しそうに歪んでいて。胸を衝かれるようなその表情に如月は思わず拳を握り締めた。ずくん、と心が疼く。呼吸すら苦しくなっていくようで、深く慎重に息を吸う。
「如月は…いつも優しいな……」
 そんなことはないよ、と如月が言いかけた瞬間、龍麻の言葉が割って入った。
「けど…!……俺に優しくしてくれるのは……俺が、『黄龍』だから…?」
「な、に…?」
「俺が『黄龍』で、御前は『玄武』だから…。それで、放っておけなくて、だからこんなに構ってくれるんだろ?……そうじゃないんだったら…どうして、そんなに優しくするんだよ………!」
 慟哭に似た龍麻の静かな叫びが、狭い室内に響いた。




モドル ススム





カエル