もうひとつの役目
〜 玄 武 篇 〜
如月×主






 玄武としての宿命をなんの衒いもなく受け入れたのは、もうずっと前のこと。この世に生を受けたその瞬間から『玄武』として生きてきた如月にとって、『玄武』として『在る』ことは、息をすることと同じくらいに自然なことだった。
 その想いが明確な形を取り始めたのは、彼―――――緋勇龍麻に、出逢ってから。顔を合わせた瞬間の既視感。そして『この者を護らねばならぬ』と、自分の中の玄武は告げた。
 彼が黄龍だという確信はなかったけれど、玄武が呼応している以上、もしかしたら彼がそうなのかもしれない、という予感はあった。
 そして共に闘ううち、その想いは変性していく。
 彼がもし『黄龍』でなくても、其々の歩く道がもし離れてしまったとしても、できる限り彼の力になりたい。いついかなる時も傍に居て、共に闘い、彼を護りたい、と。



 しかし、その想いは、『玄武』としては『破綻』していた。
 四神として、護らねばならぬ存在。四神として、仕えねばならぬ存在。それはいつも黄龍でなくてはならず、そこから離れるということは四神としての努めを放棄することに成りかねない。
 結果として龍麻が『黄龍』だったから良かったものの、如月が『如月』として『龍麻』を護りたい、と思うことは、ある意味『異端』だった。それまでの自分を顧み、その破綻に気付いた如月は悩んだ。己の存在理由とも言うべき『玄武』を廃してまでそう在ることを願うこの『想い』は一体何物なのか。
 そして、最終決戦の最中、四神のみ気付いた―――――気付かされた、四神の隠された『使命』。黄龍を護るだけではなく、その力が邪気に魅入られ開放されたときは、黄龍を屠らねばならない―――――なによりも優先されるのは、『黄龍』ではなく『東京』だった。『東京』を護るため、『黄龍』を護る。『護る』とは、『黄龍』の覚醒を阻止し封じられたままに保つこと。それは即ち、『黄龍』の顕現自体が禁忌ということか。今更ながらはっきりと眼前に示されたその現実に、如月は闘いの最中にありながら愕然とした。
 もし、龍麻の覚醒が過王須よりも早く成っていたとしたら、四神として彼を手にかけなければならなかったかもしれない。誰よりも何よりも護りたいと想う龍麻を、この手で。自らが四神のひとつであるが故に。





「僕は、僕のこの力が、ひとつ間違えば君を屠るために揮われなければならない種類の力だということを知り、これまでにこの力が君へ使われなかったことに正直感謝した」
 膝の上できつく握られた手の中、爪が手の平へと喰い込み血を滲ませていた。その痛みにすら気付かずに、如月は言葉を続ける。
「黄龍など、どうでもよかった。君さえ生きて、笑っていてくれれば。……本当に、ただそれだけを望んでいた」
 もしも―――――龍麻が黄龍となってしまったとしても、如月は迷わず『東京』ではなく『龍麻』を取るだろう。たとえそれが四神としての宿命に背くことになっても、如月は『如月』として『龍麻』の傍に在り続ける。
 けれど、柳生と共に過王須が倒れた今、遺された『黄龍の器』は龍麻ただひとり。かつてと変わらず『東京を護る』ことを望む龍麻のその想いのままに。四神の力が『龍麻』に対して行使されないよう、『黄龍』の侵食から『龍麻』を、そして『東京』を護る。
 なんとしても護り抜くと、如月は己に誓った。……彼が『龍麻』たるように。『龍麻』として生きていけるように。
 その想いは最早祈りに似た真摯を含んで、もう随分長い間、如月の胸中にたゆたっていた。
「僕は―――――」
 何かを言いかけて、ふと口を噤む。つい、と上がった視線が、龍麻を捉えた。視線を合わせたまま膝を寄せ近付き、居住まいを正す。
 この胸の内に巣喰うこの想いが、どういう種類の感情を根源としたものなのか。ずっと―――――判らなかった。
「僕は、君を失いたくなかった……黄龍などどうでもよかった―――――」
 彼を失うことが怖かった。逢えない毎日を想像することすら出来なかった。
 そうしてようやく今辿りついた、たったひとつの真実(コタエ)。
「四神のひとつ『玄武』としてではなく、只の『翡翠』として―――――『黄龍』ではなく、『龍麻』……君のことを」
 言葉を切り、如月は緊張に乾く唇を湿して息を吸い込んだ。



「君のことを―――――愛している」



 呆然と如月を見詰める龍麻の瞳の縁から、雫が一粒零れ落ちていく。
 ひっそりと寄り添ったふたつの影は、暫く離れる気配を見せず、ただ障子に影を落としていた。










 この手の中に宿る『力』が、君を屠る一面を持って与えられたものだとしても。
 この『力』が無かったなら、君と巡り合うことすら叶わなかっただろう。
 ―――――だから。
 今は、『玄武』として生を受けたこの身を、誇りに想う。



 『役目』は決まっていても、『未来』は決まっていない。
 この『想い』だけは失くさないと―――――春を待つ宵闇に浮かぶ冴え冴えとした月を見上げながら、腕の中の温もりを抱きしめて、如月は密やかに誓った。










モドル  





カエル