期待なんか全くしていなかった、といえば嘘になる。それなら期待していたのかというと、それも違う。ちょっと癖のある奴みたいだけど、投手をやっていたと言うなら一応見ておこう。もしかしたらこのままウチの投手になるかもしれない。バッテリーを組むことになるかもしれない。だから。
―――それくらいの、本当に何の気無しの提案だった。
構えたミットへ白球が飛び込んでくる。その球筋を見た瞬間、頭の何処かで何かが閃いた。球筋が何か、不思議な軌道を描いたような気がしたのだ。ストレートのような、けれど今まで見てきたストレートのどれとも違うような、不思議な軌道だった。
「三橋!」
マウンドを降りようとしている背中へ声をかけた。振り返る三橋目掛けて球を返す。腰を落とし構えてみせると、どこかおずおずとした様子で再びモーションに入った。二球目。此方を窺うような三橋へ球を投げ返してミットを構え、もう一球要求する。
数回受けてようやく、自分の目がおかしい訳じゃない、と確信できた。そして同時に、もうひとつの事実に気付く。全ての球が、ほとんど同じ軌道を描いて飛んで来ているのだ。今まで何人もの投手の球を受けてきたけれど、そんな投球を見たのは初めてだった。
そう何度もまぐれが続く筈がない。とすれば、狙って投げているということになる。奇跡がかったまぐれか、それとも本物か。確かめるためにミットの位置をずらしてみる。
再び快音が響く。球は、捕手側でほとんど調整する必要がない位にまっすぐミットへと飛んできた。その軌道を頭の中でもう一度思い描きながら、もう一度投球を受ける。やはり軌道はほとんど変わらず飛んで来た。まぐれじゃあないらしい。
更に数度構える位置を変え、繰り返し確かめる。―――やっぱり、間違いない。
急く気持ちを抑えきれぬまま立ち上がり、マウンド上でキョドってる三橋へ駆け寄った。
「三橋ッ! 球種は?!」
思わぬところで逸材を見付けた。それは本当に、そう、思ったのだ。
◇
投手なら誰でも、速球に憧れる。だから、遅い球しか投げられないオレは、ダメピーだ。
野球をやるなら投手しかやりたくない。でも、オレの球を見たらきっとみんな、がっかりする。こんな遅い球要らない、って言われる。それはココに来る前からもう判りきっていたことだ。
でも、だから、一度だけ投げて帰ろう。見るだけ、と思ってグラウンドに来たら、捕手やるらしいヒトに『投げてみない?』と言われたから。最後に、一度だけ。
マウンドに上がり、足許の感触を確かめる。二度と踏むことはないと思っていたから、少し感動する。ココは、捕手のヒトが盛ったらしい。硬式ずっとやってた、って監督が言っていたのを思い出した。整備も慣れているんだろう。足にしっくり馴染むマウンドに、少しだけわくわくした。
ふと気付くと、他のみんながオレの投球を見ようとマウンドの後ろで一列に並んでいた。それに気付いた途端、どきんと心臓が跳ねた。緊張する。うまく投げなきゃ、と一瞬思って、それから、そんな風に思った自分は馬鹿だ、と思った。どうせ一球で終わるんだ。いつも家で練習してるように気持ち良く投げて、それで終わろう。そう思いながら、マウンドの上でおおきく振りかぶった。
風を切ってボールが飛んでいく。ミットが良い音で鳴った。―――やっぱり、投げるのは気持ちいい。
「遅っせー」
投球を見て誰かがそう呟く声が聞こえた。どきん、と、また心臓が跳ねる。
やっぱりオレじゃダメなんだ。…もう、帰ろう。そう思いキャッチャーズボックスへ背を向ける。
「三橋!」
歩き出そうとした瞬間、呼び止められた。…捕手のヒト―――阿部くん、だ。
振り返ると球を投げ返された。慌てて受け止める。見ると、キャッチャーズボックスでまたミットを構えてくれていた。…まだ、投げていいの、かな。
マウンドに戻り、ミット目掛けてもう一度投げる。直ぐに返球されて、またミットを構えてくれた。―――まだ、もうちょっと投げてみろ、と言われてるみたいで、なんだか嬉しい。マウンドに立って居られることが、嬉しい。…けど。
阿部くんが構えてくれたところへ、いつも通りにまっすぐ投げる。それを何回繰り返しただろう。何度目かの投球を終えるや否や、不意に阿部くんが立ち上がりマウンドへ駆けてきた。
「三橋ッ! 球種は?!」
あまりの勢いに、怒られる、と思って首を竦めていたオレは、思いも寄らない言葉を掛けられて、頭が真っ白になった。ダメピーに球種聞いてどうするんだろう。まさか。思いながらも球種を答えると今度は、サインを決めよう、と言われた。どうして? と疑問符で一杯になるオレを余所に阿部くんは、さっき『野球部には入らない』と宣言していたヒト―――花井くんに、三打席勝負を持ちかけたのだ。
オレが、阿部くんと組んで、4番を打っていたという花井くんと勝負する。…そんなことして、どうするんだろう。オレが投げるなら、負けるだけなのに。
けれど、『野球がやれる』という誘惑には勝てなかった。打たれるのは怖い。負けるのは厭だ。でもそれ以上に、あと少しだろうけれどまだ投げられる、そのことが嬉しくて仕方無かった。
サインを決めにベンチへ行った時、阿部くんはオレに言った。
「オレがお前を、ホントのエースにしてやる」
そんなことを言われたのは初めてだった。…応えたい。―――自信は無い、けれど。
久しぶりのサインを決めて、マウンドへ上がる。久しぶりのリードにドキドキする。
バッターズボックスに立つ花井くんを改めて見ると、背が高くて、すごく飛ばしそうに見えた。
マウンドに立って投げられることが嬉しい。それだけで二球目までは投げることができた。でも、三球目のサインを見た瞬間、振るな、と言われた首を振りそうになった。
真ん中に、まっすぐ。―――そんな、打ってくださいと言わんばかりの場所には投げたくない。幾ら負けを覚悟していても、そんなのはイヤだ。
「―――!」
そう思った瞬間、キャッチャーズボックスでミットを構えてくれている阿部くんの姿が目に入った。オレの方をちゃんと見て、構えてくれている。その姿が、すごく、頼もしく見えた。
中学の時のような、ピッチャー対バッターの勝負じゃあない。阿部くんが味方なんだ。オレひとりじゃなくて、阿部くんもいるんだ。何かがすとん、と落ちた。
「ットライ!」
覚悟を決めて投げたオレの真ん中まっすぐを、花井くんは空振った。
中学時代、色んなチームの打者に散々打たれたオレの球が、ほとんど打たれない。打たれても凡フライで終わる。オレの投球は、中学の頃のそれと変わってない。だとしたら、―――これは、阿部くんのリードのせいだ。…阿部くんのリードには、力がある。
「ナイピ!」
「あとひとつ!」
内野から声が掛かってびっくりする。今日は、初めてのことばっかりだ。
このチームのみんなは、ダメピーのオレを受け入れてくれてる。
オレはこのチームで、ホントのエースになれるかもしれない。そんな気が、した。