2009.05.24 UP

はじめてのキモチ
〜1〜


「よーし、あがンぞー!」
 花井の声に、グラウンド全体に散らばっていた全員が一カ所へと集まり始めた。
 汗を手の甲で拭っている者、まだ肩で息をついている者、それぞれがそれぞれに今日一日の練習を振り返りながら、互いの肩が振れるほどに近寄って円陣を作る。全員の呼吸が大体落ち着いてから、花井がみんなの顔をぐるりと見回した。
「暑さに負けンな!」
『おーっ』
「ジブンに勝て!」
『おおーっ』
 空気を震わせるような大声に、全員が負けじと大声で応える。
「全力で夏合宿乗り切るぞ! にしうらーぜっっ!」
『おおおっっ!!』
 全員で一斉に雄叫びのような大声で掛け声をかけ、その日の練習が終わった。
「うー、汗で張り付いてて気持ちわりー」
「シャワー浴びたいねー」
「オレ腹へったー!」
「さっき食ったばっかだろ」
「でも、減って、る!」
「だよなーっ」
 思い思いにしゃべりながら部室へ向かい、帰り支度を始める。夏合宿始まったばかりとはいえ、かなりハードな練習メニューこなしてるハズなのにこれだけしゃべれてる、ってのがちょっとすごい。これも全て面白くこなせるようにメニュー組んでる監督のおかげかな。
 泥と汗でひどいことになってるシャツを脱ぐ。直接肌に当たる空気が気持ちいい。
「―――の、っべ、くん…っ」
 もごもごと言葉にならない言葉と共に肩を突かれて、ひょいと振り返る。すると、まだ練習着を着たまま、何か言いたげな表情を浮かべた三橋がそこに居た。
「ん、どうした?」
 脱いだシャツを適当に畳んで足許へ置き、水で濡らしてきたタオルを肩へかけながら正面に向き直って、返事を待つ。すると三橋は、片足を半歩後ろへ引いた格好で何か言いかけて、結局口を噤んだ。そしてオレから視線を外して足許を見て、あさっての方向へ視線を逸らし、その間中何か言いたそうに口を動いていて。このどうにも焦れったい仕草と、このせいで待たされることに、軽くイラつく。
「…おこんねーから、言えって」
 こめかみと唇の端が引きつりそうになりながら、どうにか声は抑えて言った。こいつのこーいうところだけは、どうしても慣れない。いつも言ってるんだからいい加減判って欲しい。そんでもうちょっと普通に話して欲しい。
「ぅ、あ」
 視線がオレに戻ってきた。焦点は相変わらず妙なところへ行ったり来たりしているけど、一生懸命オレを見ようとしてる。焦れったくて仕方無いけどここで大声出すと余計ややこしくなるから、もうちょっと我慢する。
 我ながらよく我慢してるよなぁ、としみじみ思っていると、意を決したように三橋が声をあげた。
「さ、っき、うちあわせ、の」
「うん?」
「今度の、試合、の―――もうちょっと、ききた…」
「! おお、いいぜ、そんくらい」
 珍しく積極的な台詞にちょっとテンションが上がる。大きく頷いてやると、ぱ、と表情を明るくして三橋も大きく頷いた。
「あー、けど部室はすぐ閉めなきゃいけないし、でもやんなら今日のがいいよな。どこでやっか…」
 顎に手を当てて考える。部室以外、といっても校内は無理だ。コンビニの外だと暑いし虫いるし、ファミレスは遠い。どうしたもんか、と 頭をひねっていると、三橋が首を傾けたままの格好で、半歩近付いてきた。
「…の、うち、近い、から」
「え、でもメーワクだろ。練習上がりだからキタネーし」
「だ、いじょ、ぶ! おフロ、わいてる、はず。親、今日、―――帰りおそ、い、しっ」
 思わぬ提案に少し驚いた。続く返答には、そーいうことじゃねぇんだけどな、と苦笑してしまう。でも外より家のが落ち着いてちゃんと話できるし、願ったり、か。
「大丈夫ならいーんだけど、―――じゃあ、そうすっか」
「!」
 両手を握りしめて頷く三橋に、片手で拳を作って応える。すぐに容量オーバーしてなかなか覚えられなかったコイツがやる気になったんなら、捕手としては是非とも応えてやりたい。いつだったか言われた『阿部君が構えたトコ投げるダケだ』って台詞も嬉しかったけど、こうやってお互いに作ってくのも嬉しいと、今なら思える。
「そしたら早く着替えて帰ろーぜ」
「ん、…う、んっ」
 こくこくと頷いた三橋は、自分のロッカーへと飛んで行き慌ただしく帰り支度を始めた。その後ろ姿を見送りながら、ちょっとした楽しみを見つけたような気分で、オレは身支度を再開した。





 部室を後にしていつものようにみんなでチャリ置き場へ向かう。自分の自転車を見つけて引き出していたら、花井に声をかけられた。
「みんなでコンビニ行くけど、阿部も行かねぇ?」
 通路へ出したところで一度自転車を停め、肩にかけていたスポーツバッグをカゴへ放り込みながら、花井を振り返って軽く片手を挙げる。
「あー、今日はパス。今度の練習試合相手のクセとかもっかい三橋と打ち合わせっから」
「打ち合わせって、今日練習中やったんじゃねぇの? ―――おま、まさか覚えが悪いから無理矢理スパルタとか」
「違うって、三橋が自分からやりたいって言ってきたんだよ。…つかオレがンなコトするとでも?」
 心外なコトを言われて軽くムッとしながら言い返した。そんなコト言われるほどのコトなんかやってきてねぇっつの。
「いや、ハハ、それならいーんだ。…まぁ、あんまりやり過ぎんなよ?」
 花井はなんだかほっとしたような貌で笑い、軽く釘を刺すような台詞で締めて自分の自転車を引き出し始めた。そりゃまぁ、あまりの覚えられなさ加減にキレて怒鳴ったコトはあるけど。無理矢理はサスガにしない。…そもそもンなコトしようとしても三橋は一目散に逃げてくから無理だ。―――や、逃げてかなくても、そこまではさすがにオレだってしない。
「ああ。無理矢理詰め込もうとしたって覚えられるモンでもねーし。…んじゃ、また明日」
「おー、おつかれー」
 一応『判ってる』って類の言葉を返してから手を振り、チャリのスタンドを上げて外へと向かった。
 自転車置き場を抜けると、三橋の方が先に来ていた。
「悪い、待ったか?」
「う、うぅん、今、来たトコ」
 ふるふると首を横に振る姿にほっと息をつき、ペダルに足をかける。
「んじゃ行くか」
「うん…!」
 ガチャガチャと音を立てながらスタンドを上げる三橋を少し待ってから、ペダルにかけた足へ体重をかけた。走り出す自転車のサドルへ腰を下ろしながら後ろを振り返ると、三橋も同じように自転車へ乗って後をついてきていた。よし、と心のなかで呟き、校門から帰り道へと自転車を走らせた。
「あー、そうだ。帰りちょっとコンビニ寄っていいか?」
「ぇ、…うん、な、何か、買うの?」
 吹き抜けていく風に目を細めながら、後ろについて走る三橋を振り返る。
「家帰るまで腹保ちそうにないから、なんか軽く食うもん買ってっとこうと思ってさ」
「―――っ、の、阿部、くんっ」
 何か思いついたような三橋の声が聞こえたと思うと、程なく、視界の隅に三橋の姿が入ってきた。何の気なしに視線を振ると、自転車から身を乗り出すようにして自転車を漕いでいる三橋が見えて、その姿の危なっかしさに少し慌てる。
「晩ご飯、カレー、だ、よっ。―――ごはん、いっぱいある、はず」
「ちょ、お前、ちゃんと前見ろ、危ねぇ―――、って、何?」
 そりゃお前の晩飯だろう、と言おうとしたところで、三橋が言葉を更に続けた。
「いっしょ、に、食べよう…っ!」
「いーのか? 無くなんねぇ?」
「だい、じょぶ! たくさん、ある!」
 なんだか目を輝かせて言う三橋を見て、断る理由は無いような気がした。多分、本当に大丈夫なんだろう。言ってくれるってことは、一緒に食べてもいいと思ってくれてるんだろうし。
「じゃあカレー食わせて貰おうかな。フロ入って、食い終わったら、打ち合わせの続きやろう」
「う、んっ!」
 今日はなんだか三橋の元気な返事を何度も聞いてるような気がする。珍しい。そんで、ちょっと嬉しい。
 ふと口許が緩んでることに気付き、軽く頬を叩いて引き締める。ちら、と隣を見ると、さっき隣に並んでから今もずっと並走を続けている三橋の姿があった。テンションが少し妙な気もするけど、でも練習中は至って普通だったし、強いて言えば打ち合わせの続きやりたいって言ってきた後くらいから、だから、別に大丈夫か。
「………ま、いっか。楽しそうだし」
「―――? なに、阿部、くっ」
「なんでもねー。ほら、早く帰るぞー」
 サドルから腰を浮かせ、ペダルへ全体重をかけるようにして速度を上げた。
「ぉ、うん…っ」
 後ろを振り返り、ちゃんとついてきてるのを確かめて、また前へ顔を向ける。
 三橋の家へ着くのが待ち遠しい。そんなことを考えている自分に気付き、心の中で小さく笑った。



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