「それにしても惜しかったよな。あと数分あったらもう1点取れたって、絶対」
ボールの入ったかごを後ろ手に引きながら、一条はとても残念そうな声でそう言い後ろを振り返った。かごの後ろ側に手をかけて押している長瀬がそれに応えて頷く。
「そうだな。けど、攻め切れなかったってことでもあるから…そこは次までにどうにかしないと」
「うーん、…まぁ、決定力不足、ってことだよなぁ、確かに。助っ人呼ばなくても練習試合くらいは勝てるレベルになっておきたいよな」
部活としての体を無くしかけていた八十神高校サッカー部は、転校生高原の入部と、数年越しの悩みを吹っ切った長瀬の熱い牽引を受けて、本来あるべき姿を取り戻し始めていた。その様子に感じ入った顧問が練習試合を決めてきたのが数週間前。徐々にやる気を見せ始めた部員と日々汗を流し、人数不足を補うため呼ばれた一条と花村が加わっての練習試合が、ついさっきまで行われていたのだ。
熱戦を繰り広げたものの結果は2対2で引き分け、という結果に終わった。けれどそれは少し前のサッカー部からしてみれば格段の進歩だと言えた。グラウンド整備を終えたチームメイトを先に部室へと帰し、汗にまみれたまま最後の片付けを終えてようやく引き上げてきた四人の表情は、大分明るかった。
「ああ。…今年は無理でも、来年は県予選と国立目指すんだからな」
「おお、言うねぇ、長瀬。―――最近はなんか見違えたようにやる気全開じゃねぇ?」
やる気に満ちた長瀬の様子に一条が茶々を入れた。む、と顔を顰めて長瀬が軽く睨む。
「俺は前からやる気出してるぞ」
「はいはい」
不服そうな声を上げる長瀬を見てにやりとした一条は、会話を切り上げくるりと前へ向き直ってしまった。そんなやり取りも今では日常風景のひとつだ。長瀬は未だ何か言いたそうな貌をしていたけれど、口では一条に敵わないことを判っているのか、大きなため息をひとつ零すと口を噤んでしまった。得点板を一緒に押していた高原と花村は、その後姿に顔を見合わせて笑う。
「部員も少しずつだけど増えてるしね。次は助っ人呼ばないで試合やれるかも。―――というか花村、サッカー部入ればいいのに」
「え、俺?」
言葉を継ぐようにして声をあげた高原が、話の矛先を花村へと向けた。頓狂な声を上げた村は、本当に自分かと確認でもするかのように、己を指差してみせる。
「ああ、そうだ。花村は運動部未所属だったよな。サッカー部入らないか? 助っ人で今日みたいなプレイできるんだ。ちゃんとした練習すればストライカーだって夢じゃない」
長瀬がぐっと握りこぶしを作って力説する。サッカーへの情熱に溢れたその眼差しに、花村は困ったように笑った。
「や、そんな風に言ってくれるのすげー嬉しいけど、…あー、なんていうか、俺じゃ無理だって。…それにほら、家の手伝いあるし」
ため息混じりに花村はそう言い、己の目の前で『無理無理』とでもいうように手の平を左右にひらひらと振ってみせた。残念そうに一条が笑う。
「まー、家の事情じゃあどうしようもないけど、…もったいないよなぁ。体育の授業でしかやってないのに、今日だってほら、カウンターばっちりキメてたし」
「そうだぞ! 高原のセンタリングに合わせてあんなに素早く切り返せる奴なんか、そう居ないって」
「―――素早過ぎて、危うくオフサイドになるとこだったけどね」
花村の素早さに長けたプレイを口々に誉めそやす長瀬と一条。それを聞いてくすぐったそうな笑みを浮かべる花村の隣から、冷静な突っ込みが入った。高原だ。
「………高原、ほんと悪かったって…けど俺、気付いてすぐ戻ったぜ? そいでちゃんとパス受け取っただろ?」
自分の失態は自分が一番よく判ってるからもう責めてくれるな、と涙目で花村が訴える。そんなつもりは無かったんだけどな、と高原は苦笑して、慰めるように花村の肩をぽんぽんと叩いた。
それから間も無くして、部室へ到着した。いつもの場所へボールのかごと得点板を戻して、それぞれ着替えを取りにロッカーへ向かう。
「一条も花村も、シャワー浴びてくだろ?」
「もちろん!」
「お、シャワーなんてあるんだ?」
感心したような声をあげた花村に、一条がどこか自慢気に笑って頷く。
「珍しいだろ? と言っても全部活共同なんだけどな」
「でもあるとないとじゃだいぶ違うよな」
「うん。…それに、戦績考えると文句も贅沢も言えない」
「違いない」
そんなことを言い合いながら笑う三人へ、とっくに準備を終えて入り口で待っていた長瀬が声をあげた。
「おーい、早く浴びて帰ろうぜ。腹減った」
困ったように眉根を軽く寄せ、長瀬が手の平で腹を擦る。相変わらずの光景に思わず一条が笑った。
「きたよ、腹減り長瀬」
「なんだよ、一条お前腹減ってないのか?」
「あーもー減り過ぎててさっきから鳴りっぱなし。―――よっしゃ、行こうぜ!」
「うん、そうしよう」
「おー」
四人連れ立ってシャワー室へと向かう途中、先に部室へ戻りシャワーを浴びに行っていたサッカー部の部員と擦れ違った。聞くと、身体の手入れが終わった後にすぐ帰れるよう、先に戻った部員で部室の片付けをしていたために、シャワーを浴びに行くのが遅くなったらしい。未だ何人もシャワー室に居るという。
「空いてなかったら、隣の棟行くしかないか」
「え、隣のはまずくねぇ? …ああでも、終わる時間にはまだ少し早いか。なら他の部の奴らとも会わないだろうし…ぎりぎりセーフ、かな」
「隣にも、あるんだ?」
長瀬と一条の会話を聞いて、高原は首を傾げて訊ねた。転校してきてまだ数ヶ月、サッカー部の部室がある棟のシャワー室しか高原は使ったことがなかった。ああ、と気付いたように一条が顔を向けて頷く。
「こっちと隣、それぞれの棟に一箇所ずつあるんだよ。けど、サッカー部やバスケ部とかが使えるのはこっちだけってことになってるんだ」
「へぇ、共同は共同でもちゃんと棲み分けてるんだな」
少し感心したように花村が腕を組んでうんうんと頷いた。
「おお。―――ちょい見てくる。ちょっと待ってろ」
そう言うと、一条が荷物を抱えたままで様子を見に、独りシャワー室へ入っていった。廊下で待つこと数十秒。少し困ったような貌をして戻ってくる一条へ視線が集まる。
「空いてないか」
「ちょっと四人は無理だな」
問いに応えた一条と顔を見合わせて、長瀬が唸った。
「仕方ない。高原と花村はこっちで入ってくれ。一条、隣行くぞ」
「おっけ。まぁその方がいいだろうな。元々俺らのとこじゃないから、向こうはできるだけ使わないようにしないとまずいし」
「いいのか? …なんか、悪いな」
いつもとは違った状況になってしまっていることに、花村は申し訳なさそうな表情を浮かべた。その心中を思ってか、一条は明るく笑って手を横に振った。
「いーんだって。むしろ花村は助っ人に来てくれたんだし、それをそんなとこ行かせらんないって」
「そうだぞ。―――高原、花村は勝手が判らないだろうから頼む」
「ん、任された」
「お…おう」
ぐるりと顔を見回して、一応話がついたことを確認した一条が、ぱん、と手を叩く。その音に他の三人の視線が集中した。
「よっし、じゃあシャワー終わったら部室前で集合な」
「判った」
「りょーかい」
「愛家で食うもん考えとけよ」
長瀬の台詞に、相変わらず長瀬は長瀬だ、と他の三人が一斉に笑い声を上げた。
つづく
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