放課後の学校っていうのはいつ歩いてもちょっと不気味だ。誰も居ないせいで足音は思ったより大きく響くし、薄暗くなった教室の中の様子は、廊下からの窓越しではよく分からない。けれど、だからこそ逆に見たくなる、という気持ちも確かにある。
自分の教室の前に立ち、薄暗い闇に沈みかけている引き戸に手をかけて、からりと扉を開けた。部活動はほとんど終わってるというくらいの時間だけれど、教室の中には残っているクラスメートが居た。
俺の後ろの席。跳ねた茶髪に外れかけたヘッドフォン。
「…花村」
机に突っ伏しているところから多分寝ているんだろう。その傍へ歩み寄り、顔を覗き込んだ。外れかけたヘッドフォンから微かに曲が聞こえてくる。何かむにゃむにゃと口を動かしているけれど、寝言だけに聞き取れなかった。
音楽を聴いている最中に眠くなって、そのまま落ちたんだろう。けど、いつもの陽介ならもう帰ってしまっている時間なのに、どうしてまだ残ってるんだろう。
「―――ああ、日直か」
そういえば今日は授業の前後でばたばたと忙しそうに駆けずり回ってた気がする。日直は放課後に担任から色々と用事を言いつけられたりすることもあるらしいから、またモロキンにこき使われていたか、お小言でも喰らってたんだろう。
幸せそうな寝顔を見ながら自分の椅子へ座り、置き忘れたプリントを机の引き出しから取り出した。
明日までの宿題、しかもモロキンからのだから、忘れでもしたらまたなっがい小言のフルコースになる。それだけは絶対に避けたい。
折れてしまっていた端っこをきれいに伸ばして、忘れないうちにとカバンの中へしまった。
そうしてもう一度、後ろの席を振り返った。相変わらず無防備で無邪気な寝顔に、胸の辺りが少しチリチリとした。だって、こんなところでこんな顔して寝てるなんて、何かあったらどうするんだ。…なんて思ってしまうのはおかしいだろうか。
ふと思いついて、陽介の頬をつついてみる。すると、ごにょごにょと何事か言葉にならない言葉を口にして、にへらと笑った。これは狸寝入りじゃなくてやっぱり本当に寝てるんだな、と確信する。
それにしても、やっぱりやたらとかわいく見える。その無防備な笑みに、コイツどうしてくれようか、という悪戯心が湧き上がってくるのを感じた。
転校してきてもう数ヶ月経つ。初めて陽介を見たときはおっちょこちょいで幸薄そうな感じがした。けれど、自称特別捜査隊の“参謀”とみずから言うだけあるくらいに案外冴えてるとこあるし、シャドウとの戦闘では決めるとこきっちり決めてくれたりもする。結構やるヤツなんだってことが判った。
一番最初にコミュ発生したくらい、転校早々からかなり近いところに居た。自称特別捜査隊のリーダーとして俺を推してくれたり、相棒って呼んでくれたりもしてる。小西先輩に言わせれば『誰かとつるんでるの珍しい』らしいし、今ではコミュランクもかなり上がってて、結構仲良くなった。―――積もりなんだけど、まだ名字で呼び合ってる。それってなんだかまだ壁があるみたいで、…少し寂しい、と思うこともある。
「…なあ、陽介」
自分の膝に頬杖をつき、至近距離から小さな声で話しかけた。
「お前は、俺のこと、どう思ってるんだ?」
今の立ち位置から少しでも逸脱したら、今の関係すら崩れてしまうかもしれない。それは正直怖いと思う。でも、俺が何もしなければ、何も変わらない。
確証があることだけに手を出す、なんて後ろ向きな俺は、俺じゃない、か。
「…はは」
自嘲気味な笑いが零れた。眠る陽介から視線を外して床へと落とし、片手で両のまなじりを緩く押さえてため息をつく。すると。
「何だよ、凪」
不意に至近距離から声が聞こえてきた。というか今名前を呼ばれた気がする。名字ではなくて、下の名前。現状あり得ないことにぎょっとして身体を起こし、未だ机に突っ伏したままの陽介を凝視した。
寝てると思ったのに、起きてたのか。だとしたら狸寝入り上手すぎるぞ。っつうかそうだとしたらこのタイミングで名前呼ぶとか、だまし討ち過ぎる。
急速に心拍数が上がっていくのが判る。顔もなんだか熱い。久しぶりに『次どうしたらいいか判らない』って状態に陥って焦っていると、陽介がごそごそと身じろぎしてまた声を上げた。
「ちょ、お前、俺のビフテキ取んなよな!」
聞こえてきた言葉を聞いて、思わず椅子からずり落ちそうになった。
どう聞いてもこれは寝言だろう。やっぱり寝てたのかコイツ。思わず焦った俺すっげぇバカみたいだ。つか紛らわしい寝言言ってんじゃねぇよむしろお前がバカだ!
軽く逆ギレした脳味噌の命じるまま、拳骨を作ってごつりと陽介の頭へお見舞いした。
「―――ッ!!」
途端、声にならない声をあげて陽介が飛び起きた。頭を両手で抱え、きつく瞑った目の端に涙が滲んでいる。
拳骨がヒットした衝撃でクッション代わりだった両腕を擦り抜けた茶髪の頭の、下側になっていた方の頬骨やらその周辺を机に打ち付け、上にしていた方の側頭部を拳骨にやられたんだ。そりゃあ涙目にもなるだろう。
けど、脳天気な寝言口走る方が悪い。しかもなんで俺が陽介の夢の中で陽介の好きなビフテキを陽介から奪い取ってるんだよ。…ということは何か、俺は陽介からビフテキ奪うようなヤツに見えてるってことか? ―――そんなことしない。絶対しない…!
握った拳をふるふると震わせていると、打ったところをさすりながら陽介が身体をゆっくりと起こした。やばい、ちょっと突っ走り過ぎた。と、違う意味で少し焦る俺の目の前で、陽介は涙目のまま外れかけたヘッドフォンを首にかけ直し辺りをきょろりと見回すと、俺を見つけてぴたりと動きを止めた。
「…あれ、高原じゃん。部活終わったのか?」
「―――あ、あぁ。うん」
詰られるかと思ったら普通に起こした時と同じように訊ねられて、拍子抜けした。
「…花村、こそ…どうしたんだ。こんな時間まで居るの珍しいじゃん」
椅子に座り直して逆に訊ねる。あー、うん、と頭をさすりながら陽介が笑う。
「日直で色々あって、遅くなってさ。今日は店の手伝いも無いし、…もう少しでお前、部活終わる時間だなって思って、さ」
「―――俺のこと、待っててくれたんだ」
うん、と頷き少し照れたような貌で頭を掻く陽介に、ちょっと感動した。でも。
「俺いつもなら教室寄らずに部室から直接帰るから、…ここで待ってても会えないよ?」
「え」
ぽかんと口を開け呆けた貌をして陽介が俺を見た。見る間に顔を赤くし、がっくりと項垂れる。ぱし、と片手で伏せた顔を覆って、陽介は唸るように呟いた。
「うっわ、それマジ…? …俺スゲー格好悪ぃ」
見ると陽介は耳まで赤くなっていた。―――かわいすぎる。
机に突っ伏しながら見てたらしい夢の内容にはちょっと傷付いたけど、寝言で俺のこと名前で呼んでたの聞けたのは、収穫だったかもしれない。日直の仕事終わったのに俺待っててくれるとか、俺に対する好感度、かなり高い気がする。
よし、とひとり密かに片手だけのガッツポーズをして、立ち上がる。
「花村、お前腹減ってるだろ。これから長瀬たちと一緒に愛家行くし、一緒に行かないか?」
「―――お、愛家か。いいな、行く行く」
そろりと顔を上げた陽介は俺の提案を聞いて嬉しそうに頷いた。カバンを持って椅子から立ち上がるその先に立ち、入り口へと歩き出す。
「お前何喰う?」
「うーん、迷うよな…肉丼もいいけど、麺も捨てがたいし…高原は何にするか決めてるのか?」
「俺は、…そうだな、やっぱ肉丼だな」
やっぱそうかぁ、と呟くと陽介は歩きながら顎に手を当てて、何を食べるか考え込む。その隣を一緒に歩きながら、階段をゆっくりと下りていった。
「長瀬は何喰うかな」
「肉丼しかないだろ」
「だよなぁ」
軽く肩を揺らしながら陽介が笑った。その横顔を見ながら、思う。次にコミュランク上がったとき、名前で呼んでいいかさりげなく訊いてみよう。何もない時に訊くより、タイミング的にはきっとちょうどいい。
近いうち下の名前で呼びあうカンケイになってやる。そう心に決め、長瀬と一条が待っている校門の方へと二人で歩いていった。
<了>
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