或る晩秋の風景




 大分前から身体の奥に巣食っている痛みに魘されて、目が覚める。額に汗をかいているかもしれない、眉根は軽く寄せた侭で夜具の上緩慢に身体を起こした。
 既に日が高く上っているようで、襖の隙間から眩しい光が細く差し込んでいる。西向きの丸い障子窓から齎される柔らかな間接光に室内が淡く浮かび上がっていた。
 ふと隣を見遣ると、幸せそうな笑みを浮かべて眠る要が居た。その額に手を伸ばし、張り付いていた髪をそっと払う。指先に伝う体温を確かめる様に握り締め乍ら、安堵めいた吐息を零して、卓へと手を伸ばす。
 引出しの取っ手に指をかけて引き、中から紙巻煙草を1本と燐寸を取り出して胡坐をかく。口の端に咥えて火をつけ、煙を肺の奥迄送り込む様に吸い込んで、要の居ない方へと静かに吐き出した。健康な者であれば数度煙を吸い込んだ所で現れる効果も、幹彦では半分以上吸わないと現れてこない。灰皿を引き寄せ時折灰を落とし乍ら紫煙を燻らせる事数分、漸く和らいできた痛みに深く息を吐いた。
 立ち上る煙に伏せた視線を向け乍ら、手の平の付け根を己が膝に預ける。指の間に挟んだ煙草を灰皿の上へ翳す格好で、眉間に寄せていた僅かな皺を緩めて、隣に眠る要へと視線を落とす。
「………ん……」
 視界の中、小さな声を零して身動いだ要を、息を詰める様にして見詰める。ふ、と薄く開かれた双眸が幾度か気怠い様子で瞬き、揺れる視線がすいと上って座る幹彦の膝へ、其処から身体を伝い上って貌を捉え、やんわりと浮かぶ笑み。その様子をつぶさに目で追い情景を記憶の中へと収め乍ら、幹彦も笑みを返した。
「おはようございます、要君」
「せん、せ…」
 伸ばされた手を確りと受け止める。僅かに掛かる重み、幾分ゆっくりとした動作で上肢をずらすと、幹彦の膝の上に己が頭を乗せて凭れかかってくる所作に、甘えん坊ですね、と声を零しかけて、止める。
 要の視線が、空へ向けられていた。否、向こう側の壁に掛けられている暦へと向けられて居るのだろうか。緩く首を傾げていると、膝の上の重みが揺らいで、視線が幹彦へと向けられた。
「どうかしましたか」
「……なん、にち…?」
 首を傾げる幹彦から視線を外すともう一度壁の暦を見上げ、つと指で示す。4日ですよ、と返す幹彦を要は一度見遣ったがまた黙り込んで視線を戻し、暦をじっと見詰める。



 要は時折、目に付いた物を指し示しては何かと幹彦に問うてくる。答えを与えた後に何らかの言葉が返ってくることもあれば、問いから派生した物事が気になったのかはたまた興味が他に移ったのか、違う物を指し示して問い直したり何やら考え込む風な行動を取る事もある。取り敢えず好きにさせよう、と乱れた侭の髪を手櫛で整えていた所、不意に袖を引かれて視線を落とす。
「なんですか」
 貌を覗き込む風にして訊ねるが、矢張り応えは返らず。もう一度袖を引くと、身体を引き摺るようにして幹彦の肩に縋り、襖の方を指し示した。
 外に行きたい、ということだろうか。試しにと縋る身体を抱き上げて襖を開けると、嬉しそうに外へと少し身を乗り出した。どうやら当たっていたらしい。更に腕を上げ濡れ縁の方を示す姿に、其方へと脚を向ける。

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