何か違和感を覚え、ふと目が覚めた。布団の中、すぐ隣で要が静かな寝息を立てている。夜の暗がりの中で目を凝らしてその横顔を注視するが、特に変わったところは無い。安堵の溜息をつく。
「………？」
　息を吐いた時、先刻の違和感と同じものを再び感じて、動きを止める。耳を澄ましてみるが、怪しい物音はしない。要にも家にも問題が無いとすれば、後は自分しか居ない。
　改めて己が身体へ意識を向けると、どうも胃の奥が重く、身体を動かすのが億劫なことに気付いた。頭には何やら重い感覚が蟠っている。夕方に吸った煙草の効き目が切れ、病の影響が表に出てきたのだろう。
　朝起きたときのことを考え、寝直す前に一本吸っておいたほうが良さそうに思えた。要の傍を離れたくはなかったが、こればかりは仕方が無い。息をひとつ吐いて、布団の上に身体を起こした。要の肩へ布団を掛けなおしてから、そっと立ち上がる。起こしてしまわぬよう慎重に襖を開け、私は廊下へと歩み出た。



　隣の部屋へ向かい、文机の抽斗から煙草と燐寸箱を取り出す。先刻と同じく慎重に襖を閉め、寝所から少し離れた縁側に腰を下ろした。
　煙草を咥え、箱から取り出した燐寸で火を点ける。軽く振って燐寸の火を消し、縁の下から陶製の屑籠を外へと少し引き摺り出して、火の消えた燐寸を捨てた。
　膝の上へ片肘を置いて、肺腑の奥へと深く煙を吸い込み、そしてゆっくりと吐きだす。煙草を持つ手を縁側の外へと伸ばし、軽く灰を落とす。改めて口許へ寄せた煙草の、赤く光る先端へと視線を落として、もう一度深く吸う。灰が縁側の上へと落ちてしまわぬよう手の置き所に気をつけながら、顔を上げた。
　ゆっくりと吐き出す紫煙の向こう、月明かりに青く浮かぶ庭を眺める。いつだったか要が好きだと言っていた草木を、出来るだけ集めて作った庭だ。草木がひとつ増える度、花がひとつ咲く度に、要が嬉しそうに笑う。手違いで枯らしてしまった草木を見る度に、要が悲しそうに泣く。それが故に、此処へ越してきた当初は草木の蒐集と手入れに随分精を出したことを思い出す。
　煙草を吸いながら、草木へと向けていた視線を己が片手へと落とした。手の平を幾度か握ったり開いたりして、力の入り具合を確かめる。
　手を切ろうが足首を挫こうがあまり不自由を感じたことのなかったこの身体が、次第に動かし辛くなってきている。以前は数度吸えば利いた煙草も、今では丸々１本吸いきってしまわないと利かない。感じる痛みが増していることからも、己が身に巣食った病が随分と進行していることが判る。
　自分に残された時間はもうあまり無い。だが、以前のような焦燥は感じない。
　己の死期を悟ったあの頃は、置いて逝かねばならない要の身を案じ、憤るべきことに憤りを感じない要の将来を憂いていた。私が居なくなってからも生きていかなければならない要のために、この命が尽きる前に何か為さねばならない、という初めての感覚に、私は頭を悩ませていた。
　けれど今は、要を此処へ残していかなくていいことを知っている。声を聞き、頬に触れ、その身を抱くことが出来なくなるのは残念だが、共に連れて逝けると判っているから、私を悩ますものはもう、何も無い。
　残り少なくなった煙草の火を消し、屑籠へ捨てる。手の平を握り締め、力の入り具合を確かめる。肩と首を回し、身体の感覚を確かめる。どうやら煙草は効いてくれたらしい。安堵の吐息と共に、残りの煙草と燐寸箱を手に取って立ち上がる。
　何かの拍子で目を覚ましてしまった時、傍に居ないと要はいつも寂しがるから、早く戻ろう。私は踵を返して、静かに、けれど足早に、寝所へと向かった。