2007.04.22 up
        かいな
蓮華の腕



 襖を静かに開いて寝所へと入る。要は未だ眠っているようだった。部屋の奥へ身体を向け僅かに背を丸めるような体勢で横たわる要の傍に、膝をつく。布団の裾を持ち上げ隣へ入ろうとして、要が何か呟いていることに気付いた。
 起きているのだろうか、と首を傾げながら、言葉を聞き取ろうと耳を寄せる。が、何を言っているのか判別できないくらいに声は小さく、不明瞭だった。やはり寝言だろうか。そう思いながら眠る横顔を改めて見下ろした、その目の前で、眠っていた要の表情が苦しげなものへと変わっていく。
「ぅ……あ、っ……ぁ…ッ」
 酷く厭な夢を見ているのか、それともどこか体調が悪くなったのか、顔を歪ませ片側の頬を敷布団へ押し付けて、身体を捩る。苦しげに呻きながら片手で頭を抱え、もう片方の手で布団を掻くように爪を立てる。そんな要の姿に些かの焦りを覚え、強張る肩へ手の平を乗せた。震える身体を揺すり、声を掛ける。
「どうしました、要君、……大丈夫ですか」
「ぁ、あ…っ!…ッッ」
 呼びかけは届かず、要は一層苦しげな様子で幾度もかぶりを振り、辛そうに顔を歪めた。布団へ爪を立てる腕が何かを追い払うかのように時折空を掻く。
 急いで枕元の洋灯を点け、脈をとり、過去に得た知識を総動員して要を診る。次第に呼吸は乱れ、荒くなり、苦しそうにはしてはいるが、身体そのものの不調が原因ではないと判断できそうだった。とすれば、原因は精神的なものだろう。医学として定着はしていないものの、恐慌状態の精神に身体が引き摺られるのは在り得ることだ。
 問題は、今要が襲われている恐慌状態の原因が判らないことだ。今にも痙攣を起こし呼吸困難に陥りそうな要の様子に、自然と眉根が寄った。あまり悠長にもしていられない。
 夢に魘されてのことならば、取り敢えず起こさなければ。そう考えて、戦慄く要の背中に手を添え、腕で肩を抱きこむようにして己が胸許へと頭を抱き寄せた。腕から逃れようとする所作を抑え込んであやすように背中を軽く叩きながら、耳許へ強く呼び掛ける。
「要、目をあけて……起きなさい、要―――!」
 一際強く身体を抱き締め名を呼んだ瞬間要の動きが止まり、ややして強張っていた身体からくたりと力が抜けた。増す重みをしっかりと受け止め、静かに布団へと身体を横たえる。
「……要…、要?」
 何かに急かされるように名を呼び、青白い頬を手の平で幾度か軽く叩く。汗ばんだ額に張り付いた髪を掻き揚げてやると、僅かに潤みを帯びた目許がはたりと瞬いた。注意深く様子を見る。
「要君……大丈夫ですか。 ―――私が誰か、判りますか?」
 ふらふらとして定まらない視線が、私の声にゆらりと焦点を合わせた。もう一度瞼が瞬く。
「せ…ん、せい……」
 要はそう応えると、両腕をさし伸ばし抱きついてきた。目が覚めて良かった、と幾分か胸を撫で下ろすに似た感覚で息を吐き、此方からも腕を広げて抱きとめる。
「どこか苦しくはないですか? …痛い所は、ありませんか?」
 まだ少し震えている肩や背中をゆっくりと撫でてやりながら身体の具合を訊く。が、要はただひたすらしがみついてくるばかりで応えがない。見立て通り身体の不調でなければいいのだが、どうしたものかと思考をめぐらせつつ髪へ口付けた。
「―――せんせ…ぃ」
 髪への口付けに反応したのか、腕の中で要が身動いだ。顔を上げようとする様子に腕を緩めてやると、未だ少し潤んだままの目で見上げられた。何か訴えかけるような視線に首を傾げる。
「どうかしまし―――」
 視線の意味を訊ねようとした私の唇が、要の唇で塞がれた。頬へ顔を摺り寄せられたことは今まで幾度もあったが、こういったことは初めてだった。どうしたのだろうか、と内心首を傾げる私の目の前で、自分から口付けてきた要が一度顔を上げた。
 先刻よりも幾分か潤みを増した目許に少しだけ赤みが差している。目を覚ました直後の酷く青白い顔からすれば幾分かましになっている様子にほっとする。
「…要君、どうしたんですか」
「せんせい…」
 問いかけにくしゃりと顔を歪め泣きそうな貌をした要が、もう一度顔を寄せてきた。濡れた舌先が唇をなぞり、甘えるような所作で甘く噛む。その所作に応え、要の唇を緩く吸って返した。
「…っ、…く……」
 身体と身体の隙間を無くそうとするようにぴったりと抱きついてくる要を膝の上へと誘い、しっかりと抱き締めなおす。小さくしゃくりあげる顔へ手を伸ばして頬を撫でると、今度は親指に口付けられ、甘く吸われた。
「せんせ……せんせい、が……さわって」
 潤む目許を強く擦って散らした要が、少し掠れた声でそう言った。
 そういえばいつだったか、魘されていた要を起こした時にも同じようになったことがあった。一体どんな夢を見たのか。どうして魘されたのか。
「…私が、いいですか」
「せん…せいが…さわって…っ」
 必死に言い募る要の姿に目を細め、頬を撫でて唇を寄せた。舌を擦れ合わせると要は肩を震わせ、応えるように舌を伸ばしてくる。息をするものもどかしい程の口付けを交わし、きつく抱き締めた。
「もう、私しか傍に居ませんから……大丈夫ですよ」
 私以外を拒み、私のことだけを考え、私だけを見る。要が、私だけを必要としてくれる。それがとても嬉しい。
 選択肢は幾つもあった。要に想いを寄せる者は幾人も居た。その中から、要は私を選んでくれた。だから私は、私を選んでくれた要に応える。それが私の、一番最後の望みだ。
「……せんせ…っ」
「はい」
「せん…せい」
 抱き締めあったままの体勢から要が首を伸ばし、私の首筋へと口付ける。肌に感じる湿った感触に口許が緩んだ。
「もっと…さわ…って…」
「おや」
 強請るような言葉と声音がとても嬉しい。
「要君も、触ってくれますか」
 問いに返事はない。けれど要は、私の身体へ回した手で私の背を撫で、肩を辿り、首筋へ触れた唇で鎖骨を食み、喉許を緩く吸った。その所作に、私の身体が熱を帯びていく。
「…要、…」
 溢れる衝動に突き動かされるまま要を掻き抱き、布団の上へ押し倒す。色素の薄い髪が暗闇に広がった。その中から見上げてくる要に、私はもう一度口付ける。
 その先に待つ快楽を、二人で分かち合うために。



<了>

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