「……このことから、次の状態式が導かれます。これを物理学的に捉え直すと、…」
淡々とした説明を続ける幹彦の隣で、要が小さく身体を捩り、熱っぽい吐息を浅く零す。
「…は……っ、…せ…んせ、い…」
「はい、どうしました」
呼ぶ声に、膝に置いていた洋書から貌を上げ、隣に座る教え子へと視線が向けられる。要はもう一度浅く息をつくと、着物の袷を潜り己が胸元へと伸ばされている幹彦の手、その二の腕の辺りを縋る様に掴んだ。
「…これ、じゃ…お話が……聞けない…っ」
「それは困りましたねぇ」
困っているのは本当だがそれだけでもないといった口調と表情で、そっと貌を寄せる。僅かに涙が滲む要の眦へ唇が近付き、舌先を掠める様にして口付け拭われて、ひくりと震える肩。反射的に目を瞑る。
「今日はもう終わりにしましょうか、それとも、話を続けますか」
緩く笑んだ視線を向け提案をしつつ、指先で鳩尾を辿る。鎖骨の窪みをやんわりと撫でられて、息が詰まる。それを宥める風に肩から胸元へと撫で下りた手の平が、既に硬くしこっている乳首に引っかかって止まる。そんな刺激にすら小さく頤を震わせて、要はもう一度熱の篭った息を零した。
潤んだ目を瞬かせると返答を待つ風な幹彦を見上げて、小さく息を呑む。唇をきつく噛んで身体を捩り、そろそろと幹彦の肩へと腕を伸ばした。
「……また…あし、た…お願い…しま、す」
「それでは、今日は終わりにしましょう。続きはまた明日に。…それで」
幹彦は途切れ途切れの声に頷きを返し、肩に置かれた要の腕に少し目を細めて、貌を近付ける。
「今日はもう帰りますか」
「――ぁ、っ……ッ」
耳許近くに低い声を注ぎ込まれて、びくりと肩が跳ねる。背筋を這い上がる痺れを耐える風情で眉根を顰め目を閉じ、深く息をつきながらもう一度見上げる。笑いそうになる膝を心中で叱咤しつつ、幹彦の肩に伸ばした腕に力を、己の唇に歯をきつく立てて、長椅子に座る彼の膝を跨ぐ風にして身体を寄せる。
揺らぐ要の視界に、目を細めて微笑む幹彦の姿が映る。
「どうしますか、要」
低い声がゆったりと己が名を呼ぶ。白い貌に映える唇の紅。目を細めて貌を傾け、そっと貌を寄せる。重なる唇に伝う愉悦が背筋を震わせて、要の心へ更なる熱を齎す。
肩に置いた手が襟元を越えて首筋へ、頤の裏を指先で擽る様にして辿り、耳の輪郭を確かめて髪に触れる。指先を其処へ残した侭手の平で頬を包み込み、軽く上向かせる風にして、一度浮かせた唇を再度重ね合わせる。薄く残した視界の向こうで、未だ幹彦が目を細めて笑んでいる事に気付いて、再度の震えが背筋を伝う。
「―――まだ、此処に……傍に…居ま、す」
存外に掠れた声で、小さく零す。幹彦が喉奥で小さく笑ったのが判る。その笑みを貪る風に、唇の隙間に舌を這わせて歯列を辿る。迎える様に開かれた咥内へ舌先を滑らせ舌を絡めると、身体の芯に直接響く様な愉悦に迎えられて、潤んだ目をまた少し細めた。
唇を交わす度に曖昧になっていく境界は、身体を重ねれば更にその隔たりが無くなって行くことを、既に知っている。
深く絡めた舌先で喉奥の裏を擽り撫で上げると、頬を包む己が手へ喉を鳴らす様子が伝わり、身体の奥に灯る熱がその温度を上げる。そうして湧く衝動の侭、首を傾け唇を隙間無く重ねて絡めた舌を軽く噛み締めてみると、眼下の身体がひくりと跳ね伸ばされた腕に腰を絡め取られた。
「…いい……です、よね…?」
「……勿論、ですよ…私の要…」
濡れた唇が余計に紅く目に焼きつく。黄昏を映した部屋を仄かに照らす洋燈にふたつの影が揺れ、更けていく夜の闇の中へと溶けていった。
<終>
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