2009.04.14 UP
〜 20000HIT記念・第1弾 〜

花と杯

 はらはらと、花びらが散る。風に己を揺らし、さわさわと微かな音を立てながら、大気を揺らし返して、花びらをひとつふたつと散らせていく。
「なー三蔵、腹減ったー」
 燭台の仄かな光に照らされて、今が盛りと咲き誇る花達が夜空に淡く浮かび上がる。それを見上げていた俺の耳に、悟空の情けない声が聞こえてきた。
「大人しく待ってろって言われただろう。黙ってろ」
「待ち過ぎて余計腹減ってきた…八戒早くー!」
「黙れって言ってるのが聞こえねぇのかこの馬鹿ザル…!」
 縁台にごろりと横になったままばたばたと暴れ出す悟空が、いつもの事ながら本当に鬱陶しい。苛立ちに任せ懐から銃を取り出し、狙いを定めながら撃鉄をガチリと起こした。
「三蔵、他の皆さんの迷惑になりますから物騒なモノはしまってくださいね」
 構えた銃を上から撃鉄ごと押さえ込みながら発される、どうにものんびりとした口調の台詞につい舌打ちする。八戒だ。言動は言わずもがな、俺に気付かれないよう気配まで消してくるところが厭味たらしくて苛々する。
「お前が遅いからだ」
「仕様がないでしょう。酒だって肉だって寺院内に置いてないんですから。…外まで買いに行ってきた僕に労いの一言もないんですか」
 買い出しから戻ってきた八戒は溜息混じりにそう言いながら、酒瓶と大きな紙袋を縁台の上へ置いた。その声と音に悟空はいち早く反応して飛び起きる。
「八戒、お帰り! 肉は?!」
「ただいま、悟空。お肉はちゃんと買ってきましたよ。今出しますからちょっと待ってくださいね」
「やったーっ!」
 嬉しそうに歓声を上げる悟空に笑顔を見せながら、八戒は紙袋の中身を縁台の上へ並べていく。それを横目に大きく溜息をつきながら撃鉄を戻して銃を懐へしまい、手近に最初から置いてあった酒瓶を手に取った。
「唐揚げ、フランクフルト、肉まん、…焼きそばも食べますか?」
「も、なんでも食う!」
 箸とフォークを両手に握りしめ、待ちきれないといった様子で悟空が目をきらきらと輝かせている。煩いのは好かないし、欲しがるだけ食わせていたらあっという間にカードの使用限度額越えてしまいそうになるから要注意だが、こういう姿を見るのはそう悪くない。
「いっただッきまーっす!」
 ぱん、と手の平を合掌よろしく打ち合わせた悟空は、まるで数日断食でもしていたかのような勢いで食べ物を口へと詰め込み始めた。ようやく静かになったことに安堵めいた溜息をつき、手にした酒瓶を傾けた。が、どうやら酒は既に尽きていたようで、一滴も出てこない。
「ああ、お酒も切れてましたか。…どうぞ」
 縁台へ腰を下ろした八戒が、買ってきたばかりの酒瓶を軽く掲げてみせた。手にしていた空の酒瓶を起いて八戒の顔をじっと見る。いつもと同じ柔和と呼べなくもない笑みを湛えた顔が俺の視線に少し首を傾げ、そして再度勧めるような所作で酒瓶を揺らした。
「………」
「はい、どうぞ」
 仕方無く無言で杯を差し出すと、八戒はにっこりと微笑んで酒を注いだ。
「御苦労」
「―――いいえどう致しまして」
「…何を笑ってやがる」
「いえ、僕は何も?」
 どこか面白がっているような表情をじろりと睨め付けてみるが、浮かぶ笑みは変わらない。それがなんだか癪に障る。ふいと視線を外し、注がれた酒をぐいと呷った。



 大量虐殺という大罪を犯し斜陽殿で裁きを受けた猪悟能。新しく八戒という名を与え、その監視役を申し出てからもう大分経った。最近は、悟空の家庭教師をしながら、三仏神の依頼を一部こなすといった日々を送っている。
 悟空の家庭教師は、ある意味適役だった。寺院の者にはどうやっても懐かなかった悟空が八戒には大分懐いているところを見込んでの提案だったのだが、勉強の出来不出来はともかく、以前なら俺の行くところどこへでも付いてこようとしていた悟空が、今は八戒と共に大人しく留守番ができる程になっていた。これだけでも十分な成果だろう。
 そして俺に課せられた三仏神からの命令を一部『依頼』という形で託した件に関しても八戒は、定職に就いていない悟浄と組んで難無くこなしていた。
 三仏神が『雑用』と呼ぶその内容は、およそ雑用とは言えない類の物も存外に多い。情報提供を盾にして良いように使われている感じは否めない。とはいえ経文の行方に関する情報を得るためには仕方無いと思うのだが、俺と悟空二人で片付けるには数が多過ぎた。ならず者や妖怪を相手にすることも少なくないから、ある程度腕の立つ者でないと任せられない。そこでふと思い出したのが、八戒と悟浄の高い身体能力だった。
 八戒は、人の身でありながら妖怪と互角以上に渡り合い、妖怪に変じた後には悟空の攻撃をようやくではあるが防いでみせた。猪悟能捜索の折り、悟能を逃がそうとして悟浄が見せた身のこなしもそう悪くなかった。ならば、と依頼を持ちかけてはみたが、二人とも気が進まない様子で断られてしまった。見込み違いなら仕方無い、今取り掛かっている案件が終わってから片付けよう、と思ったその数日後、二人は一度断った依頼を何故かやり遂げてきた。己の立場を理解したのか、それまでの己を受け入れたのか。その理由は判らないが何か吹っ切れた様子だったことは確かで、その後も時折依頼をしているが、今に至るまでそつなくこなしている。
「三蔵、もう一杯、どうですか」
 手酌で飲んでいた八戒がこちらを窺うようにして酒瓶を持ち上げていた。ああ、と頷いて、杯を差し出す。
「経文の行方に関する情報はまだ、何もないんですか」
「ああ。…いい加減何か掴めてもいいんだが」
 杯を口許へ運びながら『三仏神のくせに』と悪態をつくと、八戒はなんとも言えない顔で笑った。
「…なんだ」
「あ、―――いえ、…もし行方が掴めたら、探しに行くんでしょう?」
「そうだな」
 そのために情報を待っているのだから当たり前だ。頷き応えながら、杯を傾ける。
「そうですよね」
 そういうと八戒は、己の杯を手にしたまま夜空を仰いだ。
「そうしたら、悟空の家庭教師もなくなるでしょうし、貴方からの依頼もなくなるでしょうから、…ちょっと本腰入れて仕事を見付けないといけないなぁ、と思いまして」
 その横顔は、笑ってはいたが、どこか寂しげに見えた。
「八戒、酒」
 空になった杯を突きつけるように差し出す。その仕草をどう捉えたのか、八戒は少し苦笑しながら酒瓶を取り、酒を注いだ。
 視界の隅で酒瓶を元へ戻す所作を見遣り、再び杯を口許へと運んだ。
「残るのが厭なら、一緒に来ればいい」
「―――え?」
 思いがけない言葉を聞いたように、八戒が目を丸くしてこちらを見た。構わず酒を口に含み、喉へと流しこむ。喉を通り胃の腑へと落ちていく熱に緩く目を閉じて息をつき、手の中の杯へ視線を落とした。
「お前は腕が立つ。一緒に連れて行ってやってもいい。…三食くらいは付けてやる」
「昼寝は付いてないんですか」
「無いな」
 応えてぐいと酒を呷ると、微かな笑い声が聞こえてきた。
「………考えておきます」
「好きにしろ」
 肩を竦めるようにして言い捨てると、はい、と小さく八戒は応え、酒瓶を差し出してきた。
「まだ飲みますよね」
「ああ」
 杯を差し出し、注がれる酒を見遣る。
「これで杯の中に花びらでも落ちてきたら、風流なんですけれどねぇ」
「散りかけならあるかもしれんが、…そうそうあるわけないだろう」
「あー、あれですね、『下手な鉄砲数打ちゃ当たる』っていう」
「…なんか厭味に聞こえるのは気の所為か」
「何か心当たりでもあるんですか?」
「知るか」
 俺の杯を満たした後、手酌しようとした八戒から酒瓶を取り上げた。首を傾げる八戒に、杯を取れという風に顎をしゃくって見せる。一瞬驚いたような表情を浮かべた八戒は、どこか嬉しそうにも見える笑みを浮かべ、両手で杯を持ち上げた。
「…戴きます」
 その貌に、先刻垣間見えた微妙な表情は無かった。



 差し出された杯へ酒を注ぎ、酒瓶を置くと己の杯を取り上げて口許へと運ぶ。
「なー、その唐揚げ食わねぇなら俺貰ってもいい?」
 あれだけあった料理を全て平らげてもまだ足りないらしい悟空が、別に取り分けてあった料理に目をつけてにじり寄ってきた。
「我慢って言葉を知らねぇのかこのバカ猿っ!」
「だって足りねーんだからしょうがないじゃんか!」
「まぁまぁ、…悟空、これで『最後』ですよ?」
 そういうと八戒は分けて置いてあった中から焼きそばの包みをひとつ取り出し、悟空へと渡した。わあい、と歓声を上げて悟空はそれを受け取ると、ばりばりと包みを破いて早速頬張り始めた。
「…猿だな。間違いなく」
「食べ盛りだって三蔵、貴方自分で言ってたじゃないですか」
 苦笑しながら、八戒が杯に口をつけた。その言葉に軽く肩を竦め、手の中の杯を揺らす。
 ざ、と吹き抜けた風が枝を震わせ、花びらがひらりと舞い上がった。それを見上げた八戒が、緩く笑う。
「花を見ながら飲む、っていうのもおつですよ」
 はらはらと散る花びらが、燭台の光を受けて闇の中、白く光っている。
「まぁ、…悪くはない」
「でしょう?」
 どうぞ、と酒瓶を傾けてみせる八戒に、俺は緩く笑みを浮かべて杯を差し出した。





<了>



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