暫く放心していた八戒が、三蔵の腕の中で僅かに身動いだ。
「………ぁ、…三蔵…?」
いつもの八戒と同じ声音を耳にした三蔵は深く息を吐き、見上げてくる碧の双眸を何処か据わった風な面持ちで見下ろした。
「やっと戻ってきたか。―――要らん世話を掛けさせるな」
雨の中男二人して蹲っている、という現実に漸く気付いた八戒は、決まり悪そうな笑みを浮かべ小さく首を傾けてみせた。済みません、と自嘲気味に呟く姿を視界の隅に置いたまま三蔵は立ち上がり、未だ見上げてくる八戒を目配せで促し立ち上がらせる。
弱くなったとはいえ雨に打たれ続けている現状は、身体には余り良くない。宿へ戻ろうと踵を返す三蔵の背後で、八戒が俯かせていた顔を上げた。
「あの……僕、は…本当に……」
此処に居て、と八戒の言葉が続けられる前に、握り拳を微かに震わせながら三蔵がくるりと振り向いた。
「いや、あの、僕はただ、…その」
「―――俺は」
果てしない威圧感を一身に受けた八戒は、慌てて弁明の言葉を紡ごうとした。が、その声を打ち消すように、三蔵の声が響く。
「俺は、来いと言った。御前は、来ると言った。―――ならば、答はひとつだろうが」
一瞬きょとんとした面持ちで三蔵の仏頂面をじっと見詰めた八戒は、少ししてゆるりと表情を解いた。
「―――はい、…」
何処か自分に言い聞かせるような声音で頷きを返した八戒は、少しだけ明るい笑みを浮かべて見せた。
「次居なくなった時は、探さんぞ。置いて行くから追いかけて来い」
そう言うと宿のある方向へさっさと歩き出す三蔵を、八戒は追いかけた。大分濡れた己が身体を見下ろし、前を歩く雨に濡れた白装束姿を見遣る。
「酷いなぁ。少しくらい待って下さいよ」
「知るか」
少しだけ棘の残る声と少し明るくなったように聞こえる声が、止みかけた雨の中、小さく響いていた。
<了>
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