「痛ェ…」
自分以外の後始末を一通り終えた後、寝台の端に腰を下ろし湯で絞ったタオルで汚れた身体を拭っていると、背後でぐったりと横たわる三蔵がぼそりと呟いた。
「―――どこか、ぶつけました?」
気をつけてたつもりなんですけど、と言うや否や背後から握り拳が飛んできた。身体を捻って避けながら飛んできた拳を手の平で受け止めると、安宿らしい薄っぺらな上掛けの下から痛みに呻くような声が聞こえた。急に動いた所為で身体に響いたのだろう。掴んだ手の甲を宥めるように撫で、あやすように口付ける。
「痛めたところがあったら言ってくださいね」
「……お前が言うか」
溜息交じりの声と共に殺気が薄れ、僕を殴ろうとしていた腕から力が抜けた。掛かる重みに視線を投げ、もう一度甲を撫でてから手を離す。
寝台から一度立ち上がり、傍にある小さなテーブルの上へ投げ出していた下着とスウェットを身に着ける。2人分の汗と汚れを拭い取ったタオルは今洗っておいた方がいいだろう、と考えて洗面台へ向かった。水で軽く濯いだ後固く絞ってから洗面台の縁へ掛け、寝台へと戻る。
先刻身体を拭いてあげた後に浴衣を着せ掛けただけだったな、と考えながら寝台の縁へ腰を下ろした。
「浴衣の紐、どうします?」
「―――要らん」
そっけない返事に一瞬動きが止まる。これ以上無体をする積りは無いけれど、紐無しなんて無防備な状態で隣に居られたら、ちょっと困る。
「…紐、結びませんか」
「要らんと言った」
今度は少しの間も置かずにぴしりと言い切られてしまった。一度『こう』と決めたら梃子でもなかなか動かない性質だけに、どうしたものかと首を傾け暫し思案する。
「…三蔵、貴方」
「しつこい」
皆まで言わぬうちに言葉を切られたことが、少し癇に障る。思わず顰めてしまった眉間を指先で軽く揉み、人の形に盛り上がっている上掛けを眺めながら浅く溜息をつく。
きゅ、と唇を軽く引き結んで、両手を伸ばす。上掛けの端を掴み一呼吸置いた後、一気に上掛けを引き剥がした。
「―――――!!」
身体を覆うものが突然無くなったことに驚き、三蔵は跳ねるように上半身を起こしてこちらを見上げた。が、急な体勢の変化に身体が痛みを訴えたらしく、寝台の上に突っ伏して顔を顰め低く呻き声を洩らし始めた。肩を僅かに震わせる姿がほんの少しだけ心に痛い。
「紐、結びますよ。…でないと一緒に眠れないですから」
「紐は要らん、と………って、なんだその『一緒に』ってのは―――」
「なんだも何も、『三蔵と一緒に眠る』だけですよ」
溜息混じりにそう返すと、三蔵は継ぐ言葉に詰まり唇を結んでしまった。警戒心も露な視線をまっすぐに見返し、にっこりと笑みを返す。
「今晩はもう何もしませんし、それくらいいいでしょう? …だから、腰紐結びましょう」
ね? と片手に持った腰紐を軽く掲げ、身体を寄せた。しかし、三蔵は僕が近付いた分だけ身体を引き、距離を保とうとする。はたと表情を素に戻し、じっと顔を見詰めてから再度身体を寄せてみる。三蔵はやはり間を空けるように身体を引き、今度は更に窓際へ顔を向けた格好で上掛けを頭から被ってしまった。
「要らんと言っている」
人の形に盛り上がった上掛けの中から、頑なな言葉が聞こえてきた。ここまで拒絶されると少々傷付く。そう思いながら、でもこれはこれで『手負いの猫を手懐ける』ようで愉しいかもしれない、なんてことを考えてしまう。それがまずいんだろう、という良心の突っ込みは取り敢えず置いといて、僕は片膝を寝台の縁に掛けた。
「さんぞー!! なぁなぁ、明日の昼飯なんだけどさぁ!」
懐柔策を採るか、実力行使にするか、少しだけ悩みながら身を乗り出した僕の背後で、ばたんと大きな音を立てて部屋の扉が開いた。聞こえてきた元気な声からすると悟空だろう、とあたりをつけ扉の方を振り返ろうとした僕の頭の横を、まっしろい何かがもの凄い勢いで飛んでいく。
「―――ん゛ん゛ッ!!」
どうやら、突然部屋に飛び込んできた悟空の顔目掛けて三蔵が反射的に枕を投げたらしい。ぼふんという鈍い音とくぐもった呻き声が同時に聞こえ、続いて何か重いものが壁に当たるような音が響いた。
「三蔵………何してるんですか」
両手でシーツを鷲掴み身体を竦めた格好のまま、痛みに肩を震わせている三蔵を見下ろして溜息をつく。僕を殴ろうと腕を振り上げただけで身体が鈍痛を訴えるような状態なのに、枕を思い切り投げるなんてとんでもない。
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