この手に抱いた光
〜4〜

 痛みが収まるまでそっとしておいたほうがいい。そう判断した僕は、枕を投げ付けられ廊下へと吹っ飛んでいった悟空の様子を見に行った。
「………ぃ、ッてぇ…」
 戸口から廊下を見遣ると、向かい側の壁に凭れる格好で座り込んだ悟空が後頭部を手の平で擦っていた。枕の急襲に体勢を崩し、壁に頭を強く打ち付けたらしい。
「…悟空、大丈夫ですか?」
「ぁ―――、八戒…何だ、今の? オレ、何かしたか?」
 幾ら騒がしいとはいえ、今回、悟空の側に非はあまり無いのだから、疑問に思うのも無理はない。
「いえ…そういう訳ではないんですが。―――ちょっと今日は寝付きが悪いらしくて。漸く眠れそうだ、っていうトコだったんですよ、きっと」
「だからっていきなり枕投げ付けるコト無ェんじゃねーの?!」
「まぁまぁ。…時間も時間ですし、ほら、三蔵のお寺じゃないですから、他のお客様もいらっしゃいますし。もう少し、静かにしたほうがいいかもしれませんね」
 今日はタイミングがちょっと悪かっただけですよ、と最後にフォローを付け加えながら頭を撫でてやると、悟空は少し反省したような面持ちで、そして少し擽ったそうに目を細めて笑った。
「何か言っておきたいことがあるなら、明日の朝僕から伝えておきますよ?」
「あ、そうそれ、明日の昼飯なんだけど!でっかいホットドッグ買ってって喰わねぇ?! 」
「大きいホットドッグ…というと、前の通り沿いに出てた出店のあれ、ですか?」
 それそれ! と目を輝かせて悟空が頷く。食べ物のことを話しているときの悟空は、本当にとても嬉しそうに見える。
「安いしでかいし美味いしさ、丁度いーじゃん! …あ、思い出したらオレ腹減ってきたかも」
「悟空は本当に食いしん坊ですねぇ。それじゃあ、明日のお昼はそうしましょう。三蔵には明日の朝にでも言っておきますよ。―――ちょっと待っててください」
 部屋に置いてある荷物の中から買い置きのバナナを1本取り出して戻り、悟空へ差し出す。
「少しですけどどうぞ。これ食べたら、本格的にお腹空いてしまう前に寝てくださいね」
 食料の思わぬ出現に悟空は顔を輝かせ、嬉しそうにバナナを受け取った。
「ん、判ってるって! それじゃ八戒おやすみ!!」
 ばたばたと廊下を駆けていく後姿を見送り、床に転がっていた枕を手に取って、部屋に戻る。
 三蔵は相変わらず上掛けを被ったまま、ぴくりとも動かない。
 微かな軋みと共に、寝台の縁に腰を下ろす。
「三蔵、…紐、結ばせてください。それとも―――」
 上掛けには触れないよう気をつけながら、上肢を屈めて顔を寄せる。
「もっと、抱いて欲しいんですか」
「馬鹿言え手前―――ッ!!」
 突然跳ね起きた三蔵に慌てて僕は身体を起こし、衝突を免れる。三蔵は当然のごとく、またもや身体中に響いた痛みに呻いて、シーツの上へ突っ伏した。
「―――とにかく、要らんと言ったら―――?!」
 相変わらずな三蔵の様子に笑みを零しつつ、寝台から降りた僕は床へ膝をついて、突っ伏したままの三蔵の顔を少し遠巻きに覗き込む。それに気付いた三蔵は、何をか言いかけた唇を閉じた。
「もう今日は何もしない。…一緒に眠りたい…だけ、なんです」
 口調が思わず真面目になる。合わせられた視線から逃げずにじっと見返していると、三蔵が深く深く溜息をついた。
「…紐貸せ。自分で結ぶ」
 唐突に示された妥協案に、2回頷いて腰紐を渡す。上掛けの中でごそごそと紐を結ぶ所作を眺めていると、こちらへ背を向ける格好で三蔵が横になった。隣へ行ってもいいものかどうか些か迷っていると、顔を半端に振り向けた三蔵が『来いよ』という風に顎をしゃくる。
「眠るだけ、だからな」
「判ってます」
 嬉々として立ち上がり、部屋の灯りを消してからいそいそと寝具へ潜り込む。そんな僕の様子に警戒を覚えたのか、念を押された。即座に頷いてみせると、訝しげながらも納得したように、三蔵の身体から力が抜けた。
 隣に身体を横たえ、上掛けをなおして天井を見上げる。
「…おやすみなさい」
「―――ああ」
 隣に感じる三蔵の気配に少しだけ安らぐ自分を自覚しながら、仄かに光を弾いて闇に浮かぶ金糸を眺める。
 暗い泥濘に惑いもがく最中に見えた、唯ひとつの光。逃がしたら後が無い、とばかりに強引な手を使った。彼の熱が僕の冷えた身体を熱くしてくれるから、幾度も無理を強いた。それなのに今こうして隣に居てくれるのは、どうしてなのか。何を思っているのか。聞きたいことはたくさんある。
 眩い金糸に触れようとしてそっと手を伸ばし、途中で止める。
 絆されてなのか、流されてなのか、それは判らないけれど、今、ここに居てくれる。今はそれだけでいい、と思った。
「おやすみなさい…」
 溜息に混ぜてもう一度呟き、目を閉じる。
 いつになく速やかな睡魔の訪れに、僕は素直に身を任せた。





<了>

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