君の為に
〜2〜

 執務室を飛び出す様に後にしたゼフェルは、一路己が私邸へと向かっていた。
 早々に抜け出しエアバイクを乗り回したり下界へ降りたりするといったゼフェルの姿は日常茶飯事だったが、こうして私邸へ真っ直ぐに帰る姿というのは、これまでには殆ど見られない光景だった。
 帰り着くなり工房へ篭るとその日に予定していた作業に取り掛かった。元々手先の器用なゼフェルの所へは、備えた知識と技術の所為もあって、聖地に住まう人々から修理や組立ての依頼が舞い込む事がある。修理屋でも便利屋でもないが、手の込んだ意匠が施されている物や、出自が古いため仔細な工程が失われている物、ギミックが凝っている物等は、己が好奇心を刺激されるのだろう、稀にではあったけれど依頼を引き受けることがあった。この日扱っていた品はそうして依頼された物であり、欠けたパーツを調達しようにも生産元は遥か昔に無くなっている、随分と古い懐中時計だった。
 手に入らないパーツは自作するのが常、漸く手に入ったパーツと同素材の薄い板金を手に取り緻密な作業に没頭する。ルーペを使用し乍ら計算通りの形状でパーツの原型を切り出し、必要な物には丁寧に研磨を施して、幾つかのパーツを作成し終えたのは、夕焼けの紅が夜の闇に大分侵食された頃だった。



 ふと時計を見上げて時刻に気付き、少し慌てた様に立ち上がりかけて視線を戻すと、出来上がったパーツだけを引き出しの中へ大事そうに収めてから、部屋を後にする。その足で厨房へ向かい、既に出来上がっていた夕食のトレイを運ばせて欲しいと言い募る侍従から問答無用で取り上げ、自分で私室に運び入れた。モニターが据えられているテーブルの隣に置かれた小さなテーブルの上にトレイを置き、メインスイッチを入れる。微かな電子音と共にシステムが起動し始め、流れる文字の羅列を目で追いながら、備え付けの小さな冷蔵庫からミネラルウォーターのペットボトルを取り出して唇を潤す。見慣れた簡素な画面が表示されると、手慣れた風に操作を始め、コンソールを叩いていく。最後にリターンキーを押し目当ての画面が表示されるのを待ち乍ら、ゼフェルはトレイへと手を伸ばした。
 浮き上がってくる風に表示されるウインドウは、所謂チャットルームと呼ばれる類の物で、現在の入室者はゼフェルひとり。現在時刻を確かめると少し表情を落として思案気にモニターを見詰め、手にしたチキンサンドを頬張った。モニターの左上に画面を移動させると趣味で組んでいる最中のプログラムソースを呼び出し、片手で器用に構文の追加をし始める。食べかけのサンドを時折トレイへ戻しミネラルウォーターを飲んで、またサンドを手に取ると頬張りつつ、キーを叩いていく。そうして、数行の構文がソースに追加されひとつ目のサンドを胃に収め終えて、ふたつ目のサンドへ手を伸ばしかけた時、スピーカーからちりんとベルの音が零れてきた。
 はたと手を止めて画面を切り替え、先刻表示させたチャットルームの画面を見る。入室者有り、名前の表示は―――――ルヴァ。途端、大分無表情だったゼフェルの貌が嬉しそうに綻ぶ。どこかうきうきした風な面持ちで画面をじっと見詰め初めて数分、漸く、最初のメッセージが表示された。

―――ゼフェル、こんばんは、遅くなってしまってすみませんね。

 表示されるや否や、カタカタと手慣れた風にメッセージを打ち、リターンキーを叩く。

――よぉ。今日は長引いたのか? また研究員の連中困らせんなよルヴァ

 メッセージが表示されたことを確認して、先刻取り損ねたサンドを手に取って口許へ運ぶ。そして待つこと数分、サンドを咀嚼していたゼフェルは新たに表示されたメッセージに気付き、少し身体を起こして画面に見入る。

―――困らせてませんよ。・・・多分。あなたこそまた悪戯をしたりしてませんか? ちゃんとお仕事してますか?

 己が探究心の発露についつい他人を巻き込んでしまうという無意識の己が行動を判ってはいるがどうしようもない、といった心情が見え隠れする返答に、つと口許へ笑みを浮かべ。他方で、耳にたこができる程に聞かされている小言にむくれた風な色を乗せた、なんとも複雑な表情で、ひとつ息をつく。いつもの己が行動を省みれば言われても仕方が無い事柄、それでもそれを素直には受け入れられない。少し面白くなさそうな貌で、キーボードへ手を伸ばす。

――あたりまえだろ、変な心配してんじゃねーよ。それよか、頼んでた板金届いたんだ、今足りないパーツ作ってる

 打ち込みながら昼間の一件を思い出しつつ、話を逸らす。聖地へ戻ればきっと耳には入ると思うけれど、貴重な時間をそんな内容で浪費するのは勿体無い。そうしてやはり待つこと数分、返事が返ってくる。

―――同じものが見つかったんですね、よかった。あなたの事だから出来上がりに心配はしていませんけれど、その、あまり根を詰めないようにしてくださいね。

 作業を始めるととことん没頭する癖のあるゼフェルを気遣う言葉に、少し気難し気だった表情が緩む。

――大丈夫だよ、心配すんな。ちゃんと飯も喰ってるし寝てるしな。パーツが細かくて加工が手間だけど、帰ってくる頃には直ってる筈だ。

 数十秒も経たずに返事を返す。そうしてまた、慣れないキーボードを目の前にキーをひとつひとつ確かめながら打ちこんでいくルヴァの姿を想像して、小さく笑う。それを考えれば、いつもなら待つには長過ぎる数分間も、苦にはならない。

―――約束ですよ? 私はゆっくりで構いませんから、あまり根を詰めないでくださいね。

 どこまでも心配性な彼の人に、どうしても表情が緩んでしまう。くすぐったいような想いの中、キーボードへ手を伸ばそうとしたところで、新たなメッセージが表示される。

―――直るのを、楽しみにしていますね。

 思っていなかった返事のタイミングに、どこかきょとんとした面持ちでそれを見詰め、それから、少し照れたようなどこか子供っぽい笑顔で笑う。どこか得意げな、誇らしげな笑み。

――たりめーだ。オレが直すんだぜ? 楽しみにしとけよ

 打ち込んでから、放っていたサンドへ手を伸ばすと機嫌良さそうに頬張りながら、返事を待つ。一口、二口、一度置いてミネラルウォーターのボトルを手に取り口許へ、それから三口目、と、今度の返事の打ち込みには時間が掛かっているらしい。数分待っても表示が来ない。少し首を傾けながらも四口目、咀嚼し終えた辺りで漸く返事が返ってきた。

―――ええ、とても楽しみにしてますね。そうそう、こちらでもね、面白いものが見つかったんです。古文書の類なんですが、歴史、芸術、俗習に関する物等色々、それから、あなたの好きそうな機械工学関係の書物もありましたよ。訊ねたら、再現の可能性も含めて持ち帰って欲しいとのことでしたし、どうでしょう、見てみませんか?

 面白そうな玩具を見つけた子供の表情、というのはこういう表情を言うのだろう、分野こそ違えどこういったところは似た者同士。好奇心を刺激される話に嬉々としてキーボードへ向かう。

――面白そうだな、見てみたいから研究院の奴等がごねても絶対持って帰ってきてくれよ。頼むぜ

 ルヴァが今調査に出掛けている惑星は、今でこそ自然を主体とする文明が台頭しているが、かつては随分とテクノロジーの発達した文明を誇っていた。恐らくその時代の文献だろう、現地では既にロストテクノロジーと化しているだろうから直ぐの再現は不可能。ならば腕の揮い甲斐もある。まだ見ぬ文献に思いを馳せつつ、ゼフェルは残りのサンドを頬張った。

―――陛下にも御相談しなければいけませんが、きっと大丈夫でしょう。持ち帰れるよう頑張ってみますね。

 ルヴァが大丈夫と言うならその公算が比較的高いと見てのことだろう、やった、と嬉しそうに拳を握り締めつつ、ミネラルウォーターをひとくち、返事を打ち込んでいく。と、画面の隅で明滅する信号に気付いて小さく溜息をつきつつ、返事を送信すべくゼフェルはリターンキーを叩いた。

――楽しみにしてるぜ。そろそろ回線切れるし、こないだみたいに半端にならないうちに終っとこう。また明日も間に合うように帰ってこいよ?

 通常であれば聖地外へ調査に出ている守護聖とこういった形でのやりとりは、研究院でしかできない。ましてやテクノロジーの進んでいない辺境の惑星ともなれば、通信環境を整えることすら難しい。そういった場合でも軽易に通信ができるようにと、ゼフェルが開発した簡易通信機材、これの試運転を今回の調査とあわせた形で実施中であり、一日のうちのこの時間帯だけ、通信が可能となっていた。
 実際のところ、開発を手掛けた真の目的といえば、遺跡関係の調査によく出掛けることになるルヴァと話をするため、というのが本音。機械工学ならともかく、通信技術に関しては門外漢とまでは行かないが専門でもないゼフェルがここまで漕ぎ着けることができたのも、所謂『強い想いの為せる業』ということか。とにかく、文字での逢瀬もそろそろ別れの時刻。

―――そうですね、名残惜しいですけれど、そろそろ終わりにしましょう。データの整理があるでしょうけれどあまり夜更かししないで、適当なところで切り上げて休んでくださいね。

――ルヴァこそ文献読み耽って気がついたら朝だった、なんてことになるなよ? んじゃ、また明日な

 少しだけ大人びた表情を浮かべて返事を見返す。残り後数分。

―――大丈夫ですよ。それじゃ、おやすみなさい、ゼフェル。

――おやすみ、ルヴァ

 メッセージを送信してから、退出のボタンを押そうとして止まる手。キーボードを叩いて短いメッセージを新たに打ち、送信しようとして些かの迷い、少し照れた風な怒った風な面持ちで『止めだ止めだ』と小さく呟き、今先打ち込んだメッセージを削除する。程なくして通信が切れたことを伝えるシステムメッセージが表示され、ゼフェルはウインドウを閉じた。



 こうして文字で話をするのもあと数回。数日経てばルヴァは聖地へ帰ってくる。  ぎしりと椅子を軋ませて座り直したゼフェルは、通信をモニターしていた画面を呼び出し、解析に取り掛かる。次に使う機会のため、少しでもスペックアップさせて、もう少し長く話していられるように。
 口許には、ほんの少しだけ優しげな笑みが浮かんでいた。







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