抱えきれない想いと願い
ゼフェル様生誕記念v in 2001





 ぱしゃっと軽い水音。白い布をひらめかせ隣で立ち上がる姿を見上げるのは青鈍の瞳。
「ッと、また掛かったぜっ」
 くん、と竿を跳ね上げると、流線を描いて滑らかな鱗が光を弾き水面から飛び出した。器用に引き寄せ手に取ると、傍らにある容器へ入れる。微かな水音と共に、容器の中にひとつ影が増えた。
「あ〜、よく釣れますねぇ」
 にっこりと微笑いながら、のんびりとした調子で返事をする隣人を見下ろし、軽い溜息をつく紅の瞳。地に腰を下ろすと新しい餌を付けてひゅんと竿を振り、綺麗な弧を描いて針が水面に落ちる。
「オレばっか釣ってんじゃん。ルヴァも少しは釣れよなっ」
 落ちた針が円を描く水面を見詰めたまま掛けられた声に、少し困ったような微笑が白磁に浮かぶ。
「あ〜、ですけれど、私は貴方のように上手くできませんからねぇ」
 おっとりした返事に、そののんびりし過ぎてるとこがいけないんだろ、とぼそりと呟き小さく溜息をつく。
「…あの〜、ゼフェル?今、何か言いませんでしたか?」
 内容が聞き取れず気になったのだろう、ゼフェルの呟きを耳にしたルヴァが、相変わらずのんびりとした調子で首を傾げた。



 その声を聞きながら、此れがルヴァなんだから仕方無い、とばかりに小さくゼフェルは微笑い、何気なく彼の方を向いた。………と。
「おい、ルヴァ………糸………引いてるっ」
 くん、と水面で明らかに揺れる糸に気付き、ゼフェルが思わず大きな声を上げた。その声の大きさに吃驚したのか、ルヴァがきょとんとしたままの顔でぼうっと水面へ貌を向ける。
「あ、ああ〜、本当に、ゼフェル、引いてます〜っ」
 少しの間の後、状況を漸く把握し情けない声を上げてわたわたと慌て、竿を取り落としそうになるルヴァ。落ち着いてタイミング合わせろ、と助言を投げるゼフェルの声も届かない様子、危なっかしいその手元に銀糸が立ち上がり、手を伸ばした。そうする間にもあまりに久方振りの獲物に四苦八苦する。
 どうにかばれてはいないが引き上げるには体勢が悪過ぎる、と気付いたルヴァが、竿をしっかと握り締めたままよろりと立ち上がる。その瞬間、針に掛かった魚は渾身の力で脱出を図ったのか、ぴんと張っていた糸が水中にぐんっと引き込まれた。竿を握り締めていたルヴァの身体も引き摺られるようにぐらりと湖の方へ大きく傾ぎ、今度はゼフェルが慌てる番だった。
「…ッ…ちょっ……、ルヴァ…ッ!」
 中腰のまま引き摺られ体勢を崩すルヴァの腕を咄嗟に掴み、魚には構わず自分の方へ引き寄せる。思わず腕に力が入ってしまっていたのか、その勢いに目を丸くして銀糸を見上げるルヴァ。掴んだままの竿に繋がる糸もつられて強く引かれ、ばしゃんと飛沫を上げて魚が空を舞う。
 その弾みで針が外れてしまったのだろう、ぽしゃんと魚が水面へ消え、緊張から解放された糸は竿へと跳ね返り、均衡を失ったルヴァの身体はゼフェルもろとも芝の上へ転がり落ちてしまった。
 波紋を幾重にも浮かべる水面を、尻餅をついたような格好でふたり見詰めながら、不意に互いの貌を見合わせる。途端水辺に響く、微笑い声。
「あーあ、折角掛かった獲物、ばらしてやんの」
「あ〜、驚きましたねぇ。あんまり急で、吃驚しました〜」
 くすくすと笑うゼフェル。苦笑めいた表情を浮かべながらもほうっと息をつき、首を傾けるルヴァ。交わされる視線と、響く微笑い声。



 先に立ち上がったのはゼフェルだった。
「そろそろ行こうぜ。オレが釣った分あれば足りるだろ?」
 そうですねぇ、と小さく微笑い、差し伸べられた手を取ってルヴァが立ち上がる。ほんの少しだけ目を大きくし、きゅうっと手を握り締めて立つと、腰の辺りをぱんぱんと軽く叩く。その表情に気付かないままゼフェルは手を離し、置いてあった容器に蓋をして肩に掛け、竿を手に持った。
 ぐ、と再度手の平が差し出される。
「……行こ」
 ほんの少し貌を紅くしているところを見ると、照れているのだろうか。ゆる、と微笑を乗せてルヴァが手を伸ばす。重ねられた手の平に、紅い瞳が嬉しそうに綻んだ。きゅ、と握り返してくる感触にルヴァも少しだけ照れながら、連れ立つように歩き出す。
 向かう先は、地の守護聖の私邸。





◇   ◇   ◇






 体勢を崩した時。いつまでも少年だと思っていた彼に、不意に腕を掴まれて驚く。



 腕を包む手の平の大きさに。
 引き寄せる腕の力強さに。
 ……なにより、向けられた瞳の、色の深さに。



 後ろを追ってきていると、思っていたのは自分だけで。
 ふと気付けば目線の高さすら、自分のそれと程近い。何時の間にか追い着かれている。追い越されるのも時間の問題。その事実が、嬉しくて、困ったようで、擽ったくて。
 確かな時の流れを感じて、身体の奥のしこりがゆるりと解け出す。



 とくん。……胸が、鳴る。





◇   ◇   ◇






 ゼフェルの釣った魚を使った料理に舌鼓を打ち、ゆったりとふたり並んで寄り掛かる居間はソファでの寛ぎ。傍のテーブルには、ゆらりと湯気を立ち上らせる緑茶と、ミネラル水のペットボトル。グラスにお注ぎしましょうか、という侍従を追い払うように部屋から締め出し、何処か甘えるような風情でルヴァの肩口にゼフェルは己が頭を寄せた。
 頤を擽る銀糸に頬を寄せ、その感触にルヴァの頬が緩む。
「今度は、ちゃんとルヴァが魚釣れよな」
 腕を肩へ廻し見上げる紅の瞳に、困ったような微笑が映った。
「困りましたね〜……あまり、期待しないでいてくださいねぇ?」
 ゆるりと首を傾ける見慣れた仕草に笑みを返し、銀糸が頬へ近付く。軽く触れる唇の感触に、白磁の笑みが深くなる。
「凄ェ期待してるぜっ」
 一瞬笑みが固まり、はは、と乾いた微笑いが零れた。もう一度、困りましたねぇ、と呟くと、ルヴァは頬へ触れた唇へ貌を向ける。



 柔らかな頬へゼフェルは手を伸ばし、く、と更に貌を寄せ、ルヴァの頭を引き寄せる。間近に見る青鈍をじっと見詰め、小さく微笑うと紅の瞳を細めて、ターバンから覗く蒼の髪を指先で弄った。触れる、唇。
 肩を抱く腕の強さと、預けた身体を受け止める胸の広さ。目元を僅かに染めたルヴァの貌がじわりと潤みを乗せて、唇を離したゼフェルの貌を見詰めた。
 する、と銀糸を梳く手が止まり、潤んだ笑みが深くなる。
「……御誕生日…おめでとうございます…」
 零れた言葉に、へへ、と照れたような貌をしてゼフェルが頭を掻いた。
「今年も……一緒に、祝えましたね…」
「…来年も、一緒に祝ってくれるんだろ?」
 ルヴァの誕生日も祝ってやんなきゃだしな、と微笑う。その表情に青鈍がきゅうっと細められ、もう一度ふわりと微笑みが零れた。
「祝って…戴けますか?」
「当たり前だろ、何言ってんだよ」
 即座に返される屈託無い笑顔。其れを受けて、嬉しそうに解けるルヴァの表情。
 こと、と今度は逆にゼフェルの胸へ貌を預け、白磁の頬を擦り寄せる。何時の間にか並ぶ程になってしまっていた肩へ腕を廻し、今度は身体を寄せる。
「そうですね……一緒、ですねぇ…」
 当然、と短く返された言葉に、蕩けるような微笑が白磁に浮かぶ。



「いつまでも、一緒に……」
 ぽつりとルヴァの呟いた言葉の最後が聞こえなくて、ゼフェルが首を傾げる。なんでもないですよ、と微笑い、今度はルヴァからゼフェルへ口付ける。少し驚いた後に、ゆるりと綻ぶ貌。紅い瞳が細められ、頤に手が掛かる。重なるふたつの影。
 深い想いは今回も満たされ、きっとまた次の時も満たされる。違うことのない約束。願いと祈り。この地にこの身体が在る限り。
「……好きですよ…ゼフェル……」
「オレも好きだぜ、ルヴァ」
 確かな温もりに抱かれ、唯一の存在を抱き締めて。ささやかな微笑い声が、無二のこの日に響く。
 ゼフェルが聖地に来てから幾度目かの誕生日が、ゆっくりと更けていった。









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