「―――アレン、…アレン!」
身体を包み込む暖かい腕と心配そうに名を呼ぶ声に気付き、はっと目を開いた。左目が酷く疼いている。鈍い痛みを抑え込むように目許へ手の平をあて、身体を縮こまらせる風にして背を丸めた。
息が上がっている。身体中にべっとりと冷や汗が噴出していて、とても気持ち悪い。
「アレン……目、覚めたさ?」
直ぐ近くから聞き慣れた声が聞こえてきた。どこかほっとする柔らかい声音に、少しだけ気分が楽になる。背中を撫で下ろす暖かい手の平に促されるようにして、深く息を吐いた。その手の平が僕の頭に触れ、髪を撫でるように緩く梳いていく。強張っていた肩からまた少し力が抜けた。ぶる、と身体を震わせてもう一度深く息を吐き、未だ疼く左目を手の平で覆ったまま顔を上げる。
「……ラビ…」
至近距離で笑う隻眼が何故かとても懐かしい。あやすように背中を叩かれ、ようやく身体が弛緩する。
「僕、また…」
僕はまた、あの夢を見た。マナをアクマにしてしまった時の記憶を反芻する夢。感じる痛みは限りなく現実に近く、身に沁みる後悔は闇よりも深い。
夢にうなされ、左目の疼きに飛び起きる姿を見られてしまえば、皆に要らぬ心配をかけてしまう。罪の記憶に苛まれるのは、僕に科せられた罰だ。僕独りが負えばいい。だから僕は、努めて独りで寝ることにしていた。それは、ラビと肌を合わせるような関係になっても続けていた。共に在る、と言ってくれた彼に、余計な心配をさせたくなかったから。
けれど、勘の鋭いラビを相手に隠し通すことは、やはり無理だった。
混乱の中取り乱す僕に、けれどラビは何も言わず、『大丈夫さ』と、ただひたすら抱きしめてくれた。左目の疼きが治まるまで、強張った僕の身体から力が抜けるまで、ずっと。
唇を噛み、ラビの胸許へ額を押し当てる。あの夜と同じように抱き締めていてくれる彼の暖かさに、確かな存在に、そして微かに伝わってくる鼓動に、僕は涙が出そうになった。
「構わないさ。―――オレはこうやってアレンのこと抱きしめられて、ちょっと役得さ?」
そう言うとラビは笑い、もう一度僕を抱き締めた。心地良い圧迫感に目を閉じ、大きく息を吸って、ゆっくりと吐く。
「…ありがとう、ラビ。もう大丈夫だよ」
「ええぇ…もうちょっとだけ、こうしてたいさ」
おどけた様子でそう言うと、ラビは駄々をこねるように肩を揺らした。それが無性に可笑しくて、小さく吹き出してしまう。笑うない、とむつかり気味に言う彼へと手を差し伸ばし、抱き締めかえす。
「うん、…このまま、眠ってもいいかな」
「―――ぉ、おう、もちろん!」
とても嬉しそうな声にちょっと危険を感じて、顔を振り仰ぎじっと見る。
「眠るだけ、だからね」
「な………わ、判ってるさ、ンなこと」
こくこくと幾度も頷く姿に、笑顔をどうにか浮かべてみせる。左目はまだ少し疼くけれど、きっと今夜はこれ以上悪くはならない。そんな気がした。
上向かせていた頭を枕の上へ乗せ、力を抜く。そこへラビの顔が近付いてきた。額に口付けを落とされて、僕は小さく笑う。今度は自然に微笑むことができた。
「…おやすみ、ラビ」
「ん、…おやすみ、アレン」
月明かりに浮かぶラビの顔を少し眺め、それから僕は目を閉じた。
風のようで、捉え所がない。それはきっとラビが元々持っている性質で、彼本来の生業である『ブックマン』としての性質でもあるのだろう。だからこそ、こんなに近くに居てくれることになるなんて、思いもしなかった。
僕自身のため、仲間のため、世界のため、そしてマナのため。そこにもうひとつ、誓いを立てるに値するものを見つけた。
マナに囚われたままの僕を、そのままで構わないと言ってくれた。優しい彼のために、僕はこれからも闘い続ける。―――――神の宿る左手を、ただひとつの武器として。
<了>
|