口を開こうとした緑那を遮るように、地慧が少し身を乗り出して声を出した。
「それじゃ、頂きますね」
緑那は自分の目を疑った。昔、まだ地慧が小さかった頃に遭遇し随分と怖い想いをしたといっていた虫は確か、今彼が口にしているわらびもちに似ていたのではなかっただろうか。半透明でふるふると震えるそれが、ひとつふたつと口の中へと消えていく。
「ね、ね、地慧さま、美味しい?」
「……え、ええ、とても美味しいですよ」
地慧の言葉に嬉しそうな表情でにっこりと微笑う瞑瑠。白い貌、青鈍の瞳の脇こめかみに幾つも浮かぶ冷や汗を見ながら、心のなかで緑那はひっそりと両手を合わせた。
◇ ◇
どことなく重い足取りで家路を辿る人影。遥か後方で大きく手を振るふたつの影を振り返り大きく手を振り返す。ぴょんぴょんと飛び跳ねるそれを苦笑と共に眺めると、ゆっくりと踵を返し再び帰途につく。
口腔に微かに残るぬるりとした感触。つるりとした喉越し。つい思い出してしまい青くなった貌をぶんぶんと左右に振って、地慧は大きく溜息をついた。
「あの子が悪い訳ではないのですけれど……」
仕方ないですねぇ、と肩を竦め行く先を見やった瞳が、何かを見止めてひたりと動きを止める。興味深げに少し開かれた瞳に、流れる青の髪が映った。
脚を止めた地慧に向こうも気付き、ひらりと袖を翻して歩み寄る。
「…もしかして、地慧様?」
いきなり名を呼ばれて地慧は些か驚いた。動きを止めた地慧の目の前まで歩み寄ったその影が、月明かりに照らされて闇の中浮かび上がる。
「ええ……そうですけれど、貴方は…?」
問う声に口元を綻ばせ、さらりと揺れた髪の間から少しだけ意地の悪そうな瞳を覗かせて、彼はじっと地慧を見た。不躾な視線に流石の地慧も眉を潜めて視線を返す。
頭の天辺から脚の先までじいいっと一頻り眺め、薄い唇がにいっと笑みを造る。
「そういえば、直接話をするのは初めてでしたね。……初めまして、青藍といいます」
ふと彼の手元へと落とした視線に、一抱え程の竪琴を見つける。楽士なのだろうか……そう言えばつい先日水弥から、新しく奏楽に入った楽士の話を聞いた。年若くして大層な弾き手だけれど、独奏には向いても合奏には向かない性格のようだ、と、水弥にしては珍しく棘のある言い回しをしていたことが記憶に残っている。
「こんな遅くまで奏楽の相手をさせられて閉口してたんですけれど……そのおかげで貴方と逢えたから、まぁ、良かったのかな」
聞き様によっては不敬ともとれる言葉。けれど、その台詞が気にならなくなる程、地慧は彼の仕草に気を取られてしまっていた。
自分の興味が向くまま、思いのままに、くるくると意識をあちこちへと走らせる。誰に擦り寄って行く訳でもなく、かといってまるきり振り切って何処かへと姿を晦ます訳でもなく、手が届くか届かないかというぎりぎりのところで薄く笑みを浮かべてこちらの出方をじっと見ている。酷く気になる瞳の色。色彩は違えども、その本質に似通ったものを感じて、地慧は視線を引き寄せられたまま暫く動けなかった。
待って、待って、待ち続けた、『彼』に何処か似ている瞳。
ついっと貌を近付けて、地慧の瞳を覗き込む。
「地慧様?…折角ですし、ひとつ樂でも差し上げたいのですけれど……」
如何ですか、と問う青藍の声に、ふらりと眩暈を覚える。
錯覚。幻覚。今は既に日も落ちているから白昼夢ではなく本当の夢か。現と区別がつかなくなっていく思考を払拭するかのようにぶんぶんと頭を左右に振る。
「青、藍」
「……伺ってもよろしいですか?」
細く微笑む双眸が、地慧の目の前で煌いた。
≪私室に伴って帰る≫
≪今晩は取り敢えず断る≫
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